平安時代から安土桃山時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:21 UTC 版)
「阿児町国府」の記事における「平安時代から安土桃山時代」の解説
国府は英虞郡では最も裕福な地であり、平安時代には伊勢神宮の御厨(荘園)となり、神宮に納税していた。鎌倉時代には伊勢国南部と志摩国を治めた金沢氏の支配を受けたと見られ、南北朝時代には北畠氏の勢力下に入った。この頃の集落跡である殿畑遺跡が見つかっており、掘立柱建物や陶磁器・土師器などが出土している。 戦国時代になると、志摩国は13人の地頭が群雄割拠する時代を迎え、北畠氏傘下の国府内膳(国府大膳、国府右衛門太夫とも)が国府城(国府砦)を築き、国府衆を率いて国府を支配した。国府内膳の記録は、相模三浦氏の出である三浦新介が志摩国にやってきて以降途絶え、国府衆は三浦の率いた安乗衆(三浦衆)に吸収された。三浦は畔乗(現・志摩市阿児町安乗)を拠点としていたが、後に国府城を本拠、畔乗城を支城とした。永禄13年(1570年)、三浦は九鬼嘉隆が地頭らを次々と平定していくのを見て敗北を悟ったが、九鬼の配下となることを良しとせず、織田信雄を頼って志摩国を離れたので、城は廃城となった。なお、三浦新介と国府内膳を同一人物として扱う資料もある。
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