日本刀の製法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 16:41 UTC 版)
「折れず、曲がらず、良く斬れる」の3要素を非常に高い次元で同時に実現させるため、日本刀の原材料となる鋼の製法、選定、刀剣の鍛錬には、古来から多くの刀工が工夫している。平安時代の古刀期以降の刀工が主たる原材料としてきたものは、砂鉄を原料としたたたら吹きによって製造される「玉鋼」と呼ばれる鋼である。砂鉄を使ったたたら吹きは、考古学による確かな証拠としては少なくとも古墳時代の6世紀後半までには砂鉄の一大産地であった吉備地方(後の備前伝もこの地にある)で行われ、ここから全国に広まったものと考えられており、日本の炉は形状が低い箱型で中国・朝鮮のものとは異なり世界的に見ても特異である。ただし「玉鋼」の名称は古来のものではなく、明治時代半ば以降に命名されたもので、もとは島根県の安来製鋼所で製造し、陸軍、海軍に坩堝の材料として納入していた鋼の商品名であった。分析から、鋼の質については鎌倉時代を頂点にそれ以降低下し始めるという現象が起こっており、一因としてどこかで鋼を作る製法に変化があった可能性について述べられることもある。しばしば日本刀とは区別されることもある平安時代以前の上古刀に関しては、鉱石系箱形炉という鉄鉱石を原材料にした小型の炉が用いられていたことが判明している。今日においては、古くから伝わる卸鉄(おろしがね。鉄材を再還元して刀剣用に供する鋼を造ること)や自家製鉄した鋼を用いる刀工もおり、日本固有の伝統技術として継承されている。 なお、平安時代から安土桃山時代頃までの古刀期の日本刀の製作方法や使用原料については史料がないため明確ではなく、現在の伝統的な日本刀の製作方法は安土桃山時代末の慶長の頃から始まった新刀期から受け継がれているものとされ、江戸時代以降の記録に基づくものである。古刀期の鍛造法が正確に受け継がれたなかった理由については、1590年の吉井川の大洪水により当時日本刀の最大の生産集団であった備前伝の拠点がほぼ壊滅し、日本刀生産の中心が美濃伝に移った事、豊臣秀吉の事実上の日本統一により鍛造に用いられる鋼が均一になったことによるものであるとされる。人間国宝(重要無形文化財保持者)の刀工であり、長年自家製鉄に取り組んでいた天田昭次は、古刀と新刀の地鉄には決定的な違いがあると言い、古刀期の作刀の原料や鍛法は判然としないとする。鎌倉時代の名刀の材料や製作法については、いまだ研究途上にある。江戸時代末期以来、刀工やさまざまな分野の専門家が研究を続けているが、古刀の実物から試料を取って分析することが不可能なこともあり、鎌倉期の名刀を再現するまでには至っていないといわれていた。 しかし2014年に河内國平が、日本美術刀剣保存協会主催の「新作名刀展」に出展した「國平河内守國助(くにひらかわちのかみくにすけ)」で、現在の原料では不可能といわれていた古刀の特徴である地紋の「乱れ映り」の再現に完全に成功し、刀剣界の最高賞と言われる「正宗賞」(太刀・刀の部門)を受賞した。太刀・刀の部門は長らく「該当なし」であり、18年ぶりの受賞であった。これにより乱れ映りのメカニズムが解明されほぼ100%再現できるようになった。河内によると、受賞刀は一般的な作刀法で作られた刀と比べて地鉄が柔らかく、刃紋を美しく見せる芸術品ではなく武器としての強靭さを重視して焼入れの仕方を変えたことが成功に繋がったという。 以下の説明は、現代刀工によって行われている一般的な製作方法である。
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