製作法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 14:20 UTC 版)
漢代の銅鏡製作の研究は、1990年代に中国山東省臨淄から前漢時代の草葉文鏡の笵が発見され飛躍的に進展した。 銅鏡は笵(はん)と呼ばれる鋳型に融解した青銅を流し込む鋳造によって製作されるが、その工程は笵製作・鋳造・研磨の3つに大別される。笵は砂と粘土を混合した真土(まね)を固めて作られ、鏡面側と鏡背側の2枚を合わせて使われる。三船温尚は笵製作の工程を以下のように推測している。 真土で馬蹄形の板状笵材を成形して焼成し、油脂を含侵させる。 轆轤で、内区、外区、縁、鈕などを削り鏡背笵を作る。さらに鏡面笵と合わせた時にずれないよう嵌りを彫る。 鏡背笵に鏡面笵となる真土を押し付けて型を移し取る。移し取った鏡面笵を鏡の厚み分削る。 鏡背笵に文様などを陰刻し、湯道や上がりを彫る。 鈕に鈕孔となる棒(中子)を嵌めて、鏡面笵と合わせる。 鋳造後は、鋳バリなど除去し鏡面を磨いて完成となる。また、少数ながら鏡背に鍍金や彩色などを施すものもある。 以上のような製作技術の研究を受けて、2000年代からは湯口(融解した青銅を流し込む方向)や鈕孔の方向や形状、研磨の方法などの製作技術の変遷から銅鏡の製作時期を推測する研究が進み、従来の文様や銘文の変遷に頼っていた漢鏡編年が見直されつつある。
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製作法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 20:30 UTC 版)
以上のような押出仏は、鋳造された凸型に薄い銅板を押し当てて槌などで叩いて像を浮き出させて造られるが、これに使用された原型と考えられる銅板仏も数点伝来している。特に法隆寺に伝来する銅板如来三尊像は、同型の原型から製作された押出仏が多数残されており、製作法を考察するうえで貴重な遺品となっている。例えば、當麻寺に伝来する押出仏は法隆寺の銅板仏と全く同型であるが、東京国立博物館に伝来する押出仏は天外部の装飾に異なる文様が見られる。こうした違いは、光背などの細部に微妙な変化を持たせた複数の原型を造ったか、もしくは打ち出す際に部分的に別の型を用いるなど、いくつかの型を組み合わせて製作したと考えられている。
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