臨淄区
臨淄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:27 UTC 版)
中国春秋時代の斉の首府とされた都市。周王室により東海地方に封じられた太公望によって築かれる。最初営丘、のちに名をあらため臨淄となった。春秋戦国時代を通して最大の大都市であり、全盛期の紀元前4世紀の戸数は7万戸、人口は成人男性だけで少なくとも21万人、合計は35万人に達した。 土壌が痩せていて農耕に適さないことから、製鉄、銅の精錬、陶器製造、織物など工業を中心とした街づくりが進められた。桓公の時代には、宰相管仲によって都市整備がなされ、当時屈指の工業都市となった。城は王の住む小城と住民の住む大城が連なり、周囲21km、面積は15平方kmだった。城内には井の字型に大路が走り、排水などの都市機能も完備されていたことが、今に残る都城跡から確認できる。西周から漢までの時代、最も豊かな文化を生み出した。
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