こう‐はい〔クワウ‐〕【光背】
光背
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 07:10 UTC 版)

光背(こうはい)とは、仏像、仏画などの仏教美術や、キリスト教美術などにおいて、神仏や聖人の体から発せられる光明を視覚的に表現したものである。
分類
仏教
後光とも呼ばれる。仏教美術における光背は、インド仏教では頭部の背後にある頭光(ずこう)に始まり、その後体全体を覆う挙身光(きょうしんこう)が生まれた[1]。仏教が東伝するにつれて、頭と身体のそれぞれに光背を表す二重円光があらわれ、中国仏教や日本仏教において様々な形状が発達した。日本では胴体部の背後の光背を身光(しんこう)と呼んでいる[1]。
形状による分類として、光を輪であらわした円光(輪光)、二重の輪で表した二重円光、またそれら円光から線が放たれている放射光、蓮華の花びらを表した舟形光背(舟御光)や唐草光、宝珠の形をした宝珠光、飛天が配せられているものを飛天光、多数の化仏を配置した千仏光、不動明王などのように炎を表した火焔光などがある[2]。
その他の宗教
これらの光輪は、仏教に限らずキリスト教の聖人図画などにも見受けられ、宗教全体で普遍的なものであると考えられており、仏教以前のゾロアスター教のミスラ神の頭部にはすでに放射状の光が表現されている。
その他の風習など
ネイティブアメリカンの権威ある者や戦士が頭に着ける羽根冠(ウォーボンネット)も元来は放射光状の光背を顕していると伝わっている。
ギャラリー
仏教美術
その他の宗教
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紀元前69-31年 ゾロアスター教の光明神ミスラ(右)
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ヘイローの例。
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紀元前1235年の太陽神ラーの壁画
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アーヘン大聖堂の聖母子像
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グローリー飾り(マレイユ=アン=フランスのサン・マルタン教会)
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アメリカ先住民のウォーボンネット
脚注
参照
参考文献
- 中村元、久野健(監修)『仏教美術事典』東京書籍、2002年。ISBN 4-487-73159-3。
関連項目
- en:Halo (religious iconography) - 英語の後光のページ。ヘイロー、もしくは、ラテン語でニンブス、もしくはニンバス (nimbus)という。
- en:Circle of stars - 複数の星を円状に並べ、国々の団結・調和を示す旗等に使用される。また宗教芸術の分野で聖人の頭上に不滅の冠として配される。
- Meniskos - 古代ギリシアの彫刻は野外に展示されていたことから、鳥の糞をよけるために頭に円盤型の器具を取り付けていた。
- 三十二相八十種好 - 釈迦の特徴や宗教的に良い特徴を表す。丈光相に体から光を放つという特徴がある。
- オーラ
- マンドルラ(イタリア語の「アーモンド」が由来、キリストなどを囲むアーモンド形の枠)
- フワルナフ - ゾロアスター教に登場する光輪。クワルナフ、カウィの光輪などとも訳される。
- 曼荼羅 - 仏が収まる丸は、月輪(がつりん)という。
- 科学
光背
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:24 UTC 版)
最初期のムハンマド画には光背が必ずあるわけではないが、ある場合はキリスト教美術の様式にもみられるような丸い形だった。その後、仏教あるいは中国的な様式である炎のように伸びた光背、後光がより一般的になっていった。光背あるいは炎は頭のまわりに描かれるだけでなく、体全体を覆っている場合がほとんどであり、光だけが描かれて身体そのものはみえない挿絵もある。このように光に包むことで真実主義による表象から生じる問題を避けるとともに、ムハンマドの人ととなりは文章で伝えられる。身体が描かれているときは、顔はベールで被われていることもある。こういった描き方は、ペルシアのサファヴィー朝の勃興のときから始まっており、崇拝と畏敬の念を表わすために行われている。ムハンマドだけでなくその妻や他のイスラムの預言者も、絵の中に登場するときは同じように描かれている。 イスラム美術の初期の研究者であるトーマス・W・アーノルドは、かつて次のように述べていた。「イスラム教徒は、仏教やキリスト教がそうであったように信仰に付随するものとしての絵画をけっしてよろこばなかった。モスクで宗教画が飾られることはないし、異教の教えを説明したり信心を深めるための写実的な美術品もない」。イスラム教とキリスト教を比較して、「したがって、イスラム美術には宗教画の伝統などない。どのような様式の描写であっても美術史的な発展を遂げたことはなく、宗教的なテーマに関する画家ごとの流派もなかった。キリスト教の教会における権威に相当するような宗教思想の指導者に関する手引きなどもってのほかである」。 ムハンマドの肖像は、今日でも議論の分かれる問題であり、中東ではそれを許容しない国が多い。例えば、1963年にはメッカへ巡礼したトルコ人の描いた記事がパキスタンでは発禁となった。なぜならヴェールのないムハンマドを描いたミニアチュールの画像を含んでいたからである。 おそらくナッカシュ・オスマン(英語版)による、1595年に完成したオスマントルコ語写本の預言者伝(英語版)より、ムハンマドの誕生 ヒラー山のムハンマド メッカに向かうムハンマドと、天使ジブライール、イスラーフィール、アズライール バドルの戦いに臨むムハンマド ムハンマドとその仲間の前でナディール・イブン・ハーリス(英語版)の首をはねるアリー ラシードゥッディーンが編纂した『集史』より、ムハンマドとバヒラの邂逅(エジンバラ大学図書館所蔵の写本、1315年頃のムザッファル朝時代のタブリーズで描かれた挿絵) 『集史』よりナディール族(英語版)の降伏を受け入れる(乗馬姿の)ムハンマド カアバで異教の偶像を破壊するムハンマド カアバに黒石を奉納するムハンマドのミニアチュール画(『集史』より、1315年頃) 『預言者伝』より「カアバのムハンマド」。ムハンマドの顔はヴェールで覆われている The destruction of idols at the Kaaba. Muhammad (top left and mounted at right)[要出典] is represented as a flaming aureole. From Hamla-i haydarî ("Haydar's Battle"), Kashmir, 1808. Muhammad's Call to Prophecy and the First Revelation; in the Majmac al-tawarikh (Compendium of Histories), c. 1425; Timurid, Herat, Afghanistan Journey of the Prophet Muhammad in the Majmac al-tawarikh (Compendium of Histories), c. 1425; Timurid. Herat, Afghanistan. Miraj image from 1539–43, reflecting the new, Safavid convention of depicting Muhammad veiled. An image from the Houghton Shahnameh (Metropolitan Museum of Art). Detail showing Muhammad, Ali, and the companions at the Massacre of the Prisoners of the Jewish Tribe of Beni Qurayzah, 19th-century text by Muhammad Rafi Bazil. Both Muhammad (upper right) and Ali (center) are depicted as columns of flame rather than illustrated directly. Muhammad and Khadija performing the first wudu, as illustrated in the Siyer-i Nebi The Investiture of Ali at Ghadir Khumm, MS Arab 161, fol. 162r, AD 1309/8 Ilkhanid manuscript illustration. Death of Muhammad Muhammad's ascent into the Heavens, a journey known as the Mi'raj, as depicted in a copy of the Bostan of Saadi. "Mohammed's Paradise", Persian miniature from The History of Mohammed, BnF, Paris.
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