製作決定までとは? わかりやすく解説

製作決定まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:21 UTC 版)

人間の証明」の記事における「製作決定まで」の解説

角川春樹映画製作参入にあたり、各映画会社訪問したが、最初に訪ねたのは、東映岡田茂社長だった。鈴木常承東映洋画部長は「岡田社長から『角川社長今度映画やりたいそうだから、いろいろ相談乗ってあげてくれ』と角川社長紹介された。角川社長から『ぜひ、映画をやりましょうと言われた」と証言している。 角川春樹1975年11月6日角川書店社長に就任し映画は本を拡売するための大きな力になる判断、翌1976年1月映画製作目的とした角川春樹事務所設立した角川春樹映画便乗して本を出せば売れると気付いたのは、角川書店干されていた1968年26歳のとき、早川書房から出ていたマイク・ニコルズ監督アメリカ映画卒業』の翻訳本珍しく10万部も売れたのを見たからである。 1976年5月24日東京プリンスホテル記者会見行い映画製作進出正式に発表し、『犬神家の一族』と『いつかぎらぎらする日』(笠原和夫脚本深作欣二監督)、『オイディプスの刃』(村川透監督発表されていた)の三本をまず製作予定告知した。『いつかぎらぎらする日』と『オイディプスの刃』はこの時は製作されなかったが、東映は『いつかぎらぎらする日』製作の過程角川接触続けていた。 角川1976年5月24日映画製作第一回として『犬神家の一族』を発表し原作の関係で配給東宝になったが、この日に二作目として『人間の証明』を構想していることを知らされ東映洋画は、当時角川制作宣伝面のアドバイザーをやっていた古澤利夫(藤崎貞利)から『人間の証明』はまだ配給会社決まっていないという情報得て興行面窓口をやっていた土橋寿男(黒井和男)に東映洋画配給やらせてくれと頼み角川春樹にも快諾された。また岡田茂東映社長も『月刊創』1977年5月号のインタビューで、ホスト勝田健から「今度、おたくが配給面で提携することになった人間の証明』は『犬神家の一族』で角川大ヒットさせたもんだからそれでは、ということで横あいから乗りだしたんじゃないですか?」と言われ「いや、それはちょっと違うんですョ。わたしは文庫本ブーム角川つくったときに、これはいけるって狙いをつけてたんです。もっと砕いて言えば、その張本人である角川春樹っていう若い経営者買ったといえるかもしれないな。彼はどことなくスターらしい風格滲みでていますしね」などと話し自分似てワンマン角川買っていた。 また『映画ジャーナル1977年8月号の松岡功角川春樹との対談で、「戦後邦画界は、それぞれ固定ファン層ベースに、出来る限り系統館を育成培養しながら、大量生産大量販売システム稼ぎ上げて来た。映画テレビ押され稼ぎ悪くなってからも東映だけは最後までブロックブッキングのメリット維持して稼ぎ上げて来たんですが、映画興行あり方映画配給あり方変わりつつあるといえる去年突如角川春樹さんが登場して集中宣伝方式根こそぎ動員やらかしたこういう宣伝方式は、ブロック配給建前とするわれわれからすると、経費増を招くばかりでタブー視されて来たんですが、それと長年何となく職人根性みたいなものがあって、いいモノさえ作れば客は来るんだという観念から抜け切れないんですね。そこへ、角川さんが億単位宣伝費バカスカぶち込むことを敢えて試みて結果爆発的に当たりを示したとなるとモノがいいだけじゃ、最早ダメで、集中宣伝して全国制覇大話題にしないと大きく稼げん。そういう時代になった認めざるを得ないそういう意味で宣伝あり方変えんとダメだ、と実感し人間の証明』をウチで是非扱って時代の波の変わりざまを如実に体験したい思ったわけです」などと述べている。角川春樹は「角川映画だけが独立して歩み出すことはありません。あくまで出版とのジョイントなくして角川映画存在しません。この認識の上立って映画作るということです。第二作に『人間の証明』を選んだのは、横溝正史さんと違って森村誠一さんは都会売れて作家で、地方では売れてないからです。それで映画第一作ではやれなかったテレビドラマ)を今度かませて森村さんを売りまくろうという体制です。これが『犬神家の一族』と違う点です」などと話した角川当時自前スタジオ劇場持っていなかったため、スタジオはどこかを借りればよいにしても映画大ヒットさせるためには、配給に関して全国劇場チェーンを持つ邦画三大メジャー東宝松竹東映のどこかと組まなくてはならなかった。しかし松竹角川を「新参者」などと嫌い、角川松竹が好きでなかったから、実際東宝東映と組むしかなかった。角川としても「特定の映画会社系列入っていると思われたくない」という考えがあり、第一作組んだ東宝誘い断り岡田社長始め角川好意的な幹部のいる東映選び、また敢えて撮影所日活撮影所選んだ角川春樹は『映画ジャーナル1977年8月号の岡田茂松岡功との対談で、「興行網については、もう映画界東宝東映二強時代入ったことは間違いなくいえると思う。劇場の数、質の問題という前に、やはり経営者決断満ちた行動力豊かな人を得たという会社強みその意味二強時代入ったといえる思います岡田社長にしろ松岡社長にしろ、お話ししてすぐ返事返ってくる方ですから。二人巡り合えたのは大変幸せで、二人決断なくして犬神家の一族』『人間の証明』も有り得なかったと思います」と話した角川映画参入したとき「素人何ができる」という声が強くあった。『犬神家の一族』が大ヒットしたことで、この声消えたが、角川悔しさ残ったこのため第二作はそれ以上ブーム興せるものでなければ」と、第二作を何にするかは慎重に考慮された。『人間の証明』が第二作になることが正式に発表されたのは1976年11月18日ジャーナリスト招いて行われた犬神家の一族』の感謝パーティ席上だった。

※この「製作決定まで」の解説は、「人間の証明」の解説の一部です。
「製作決定まで」を含む「人間の証明」の記事については、「人間の証明」の概要を参照ください。

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