村川透とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 村川透の意味・解説 

むらかわ‐とおる〔むらかはとほる〕【村川透】

読み方:むらかわとおる

[1937〜 ]映画監督山形生まれ本姓高橋。「蘇える金狼」「野獣死すべし」など、松田優作主演ハードボイルド作品監督。他に「白い指の戯れ」「最も危険な遊戯」など。テレビドラマ探偵物語」「西部警察」「あぶない刑事(でか)」などの監督としても知られる


村川透

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 08:37 UTC 版)

むらかわ とおる
村川 透
本名 高橋 透
生年月日 (1937-03-22) 1937年3月22日(88歳)
出生地 日本 山形県村山市
職業 映画監督
ジャンル 映画オリジナルビデオテレビドラマ
テンプレートを表示

村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本映画監督音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校福島大学経済学部卒業。実父は国文学研究者の村川幹太郎。長兄は指揮者村川千秋

来歴・人物

村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し営業部に所属するも、方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職。社内では舛田利雄中平康西河克己森永健次郎、社外では貞永方久森谷司郎らの助監督を務め、『伊豆の踊子』『あゝひめゆりの塔』『嵐の勇者たち』など多数の作品に参加。特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。この間に結婚し、鋳物職人高橋敬典(後の人間国宝)の婿養子となる。

1972年、監督デビュー作である『白い指の戯れ』(脚本∶神代辰巳)が日活ロマンポルノ映画としては初めてキネマ旬報ベストテンにランクインする高評価を受けるが、続く『官能地帯 悲しみの女街』『哀愁のサーキット』の2本が不振に終わり、ほどなくして日活を退社。郷里の山形に戻り、義父・敬典の下で修行生活を送る傍ら、兄・千秋による山形交響楽団の設立運動に携わった[1]。1976年に恩師の舛田と日本テレビプロデューサー・山口剛らの計らいにより、テレビドラマ『大都会 闘いの日々』で監督復帰。この時にゲストとして起用した松田優作とは映画監督復帰作となる『最も危険な遊戯』をはじめ、『野獣死すべし』やテレビドラマ探偵物語』『華麗なる追跡』など多数の作品でコンビを組むこととなる。1979年以降は当時若手プロデューサーだった角川春樹奥山和由の下で『白昼の死角』『蘇える金狼』『凶弾』などのメジャー配給作品にも進出。テレビでも『大都会 PARTII』『あぶない刑事』『はみだし刑事情熱系』『暴れん坊将軍』などの人気シリーズを手掛けた。

松田優作没後も多くの作品を発表し続け、出身地の山形県村山市では「村川透映画祭」が開催されている。また、舞台を中心に活動していた柴田恭兵を『大都会 PARTII』のゲスト出演に推薦、その後『大追跡』のレギュラーに起用され、その人気を全国区へ広げたことでも知られている。

クラシック、ジャズ、ポップス問わず音楽方面への造詣が深いことでもよく知られ、自らもアマチュアサクソフォニストとして活動。日活時代には演奏者として劇伴のレコーディングに参加することもあった。後に『遊戯』シリーズなどで組む作曲家・キーボーディストの大野雄二とは当時からの旧知であったという。

また、目撃者役、人質役、タクシー運転手役など自作へのカメオ出演が多いことでも有名である。山形透の芸名を用い、出演者として直接クレジットされることも多い。

2014年6月、東日本大震災で損壊した生家を解体し、跡地に60人収容の私設多目的ホール「アクトザールM.」を開設した。

主な監督作品

劇場映画

ビデオ映画

テレビドラマ

連続
単発

テレビドキュメンタリー

  • 木曜スペシャル ADMIRAL'S CUP ‐1977‐ 裕次郎は燃えた!(1977年9月22日 / 日本テレビ、石原プロモーション)

作詞

番組出演

その他

  • オイディプスの刃(1976年公開予定 / 角川春樹事務所)
松田優作主演作品だったが、フランスロケ中に製作中止となった。後に成島東一郎監督、古尾谷雅人主演で再び企画の後、1986年に完成・公開された。
東京ムービーの要請により総監督として企画に参加。自らも脚本に丸山昇一を推挙するなど積極的に関わっていたが、日本テレビが推薦する伊藤俊也の登板が決定し途中離脱。映画は1995年に『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』として公開された。
村川の、「アクトザールM.」を通じた故郷への思いを描いたドキュメンタリー作品。

関係人物

脚注

  1. ^ 『山形新聞』2006年2月26日朝刊掲載

参考資料

  • 山本俊輔、佐藤洋笑『映画監督 村川透 和製ハードボイルドを作った男』DO BOOKS(原著2016-1-23)。ISBN 9784907583705 

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村川透」の関連用語

村川透のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村川透のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村川透 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS