村川千秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 08:34 UTC 版)
村川 千秋 (むらかわ ちあき) |
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生誕 | 1933年1月1日 |
出身地 | ![]() |
死没 | 2025年6月25日(92歳没) |
学歴 | 東京芸術大学音楽学部 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
活動期間 | 1966年 - 2025年 |
著名な家族 | 村川透(実弟/映画監督) |
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日[1] - 2025年(令和7年)6月25日)は、山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。
来歴
山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業[2]。
1963年にアメリカ合衆国へ渡航し、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。
1966年に帰国。東京交響楽団の客員指揮者としてデビュー。以後同楽団・札幌交響楽団・日本フィルハーモニー交響楽団・京都市交響楽団などを指揮する。
1968年、山形県初の本格的オーケストラ指揮者として山形新聞社の山新3P賞「進歩賞」を受賞。1972年、東北初のプロオーケストラ、山形交響楽団を設立。正指揮者に就任(のちに常任指揮者に)。1992年、山形県教育功労者表彰。1994年、渡邉曉雄音楽基金特別賞受賞。1995年、齋藤茂吉文化賞受賞[3]。2001年、山形交響楽団創立名誉指揮者に就任。2004年、平成16年度地域文化功労者表彰受賞。2013年、村山市名誉市民[4][5]。
2025年6月25日、肺炎のため死去[6][7]。92歳没。
著書
- 『たのしいわおん 幼児のけんばんわせい』音楽之友社、1978年。
- 『新版 たのしいわおん 幼児のけんばんわせい 上』音楽之友社、2022年10月。ISBN 978-4276451025。
- 『新版 たのしいわおん 幼児のけんばんわせい 下』音楽之友社、2022年10月。ISBN 978-4276451032。
- 『幼児のためのヴァイオリンのおともだち』音楽之友社、1982年2月。ISBN 978-4276474901。
- 『子どものためのチェロのおともだち すてきな低音』音楽之友社、1990年11月。
- 『子どものための歌曲集「チュルルンゼリー」』音楽之友社、1997年4月。ISBN 978-4276595507。
脚注
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.525
- ^ 編集長インタビュー 山響 創立名誉指揮者 村川 千秋 氏 『山形コミュニティ新聞』2010年1月22日
- ^ 齋藤茂吉文化賞受賞者41-50回 - 山形県企画振興部県民文化課
- ^ 村川千秋氏に村山市名誉市民の称号を贈りました - 村山市 2013年1月24日
- ^ 47NEWS 村山市、村川千秋さんを名誉市民に 山響名誉指揮者の功績を評価、近く議会提案 『山形新聞』2012年11月28日
- ^ “指揮者の村川千秋さん死去 92歳 山形交響楽団を設立”. 毎日新聞. (2025年6月26日) 2025年6月26日閲覧。
- ^ “訃報 山形交響楽団創立名誉指揮者の村川千秋さん 92歳で死去 肺炎のため”. 日テレNEWS. 日本テレビ放送網. 2025年6月26日. 2025年6月26日閲覧.
固有名詞の分類
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