久我通明とは? わかりやすく解説

久我通明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 14:07 UTC 版)

 
久我通明
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永9年1月16日1780年2月20日
死没 安政2年12月2日1856年1月9日
官位 従一位内大臣
主君 光格天皇仁孝天皇
氏族 中院家久我家
父母 父:中院通維、養父:久我信通
兄弟 養兄弟:中院通古綾姫西洞院信庸室
正室:就姫細川治年の娘)
志通
養子:建通[1]誓円[2]
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久我 通明(こが みちあき)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。中院通維の子。内大臣久我信通の養子。官位従一位・内大臣。

経歴

天明5年(1785年)に父の中院通維の実家である久我家に養子入りし、叙爵した。以降清華家当主として速い速度で累進し、侍従・左近衛権少将・左近衛権中将を経て、寛政6年(1794年)には従三位となり、公卿に列する。

その後も右近衛中将・踏歌節会外弁・権中納言を経て、文化7年(1810年)に権大納言となる。文政7年(1824年)に内大臣に就任。さらに右近衛大将右馬寮御監ともなったが、同年中に任職を辞した。文政8年(1825年)に従一位を授与された。

系譜

  • 父:中院通維
  • 母:不詳
  • 養父:久我信通(1744-1795)
  • 正室:就姫(1787-1847) - 美子。細川治年の娘
  • 養子
    • 男子:久我建通(1815-1903) - 一条忠良の子
    • 女子:誓円(1828-1910) - 伏見宮邦家親王第三王女

脚注

  1. ^ 一条忠良の子
  2. ^ (1828-1910) 伏見宮邦家親王第三王女。万喜宮。善光寺住職




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