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久我常通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 15:41 UTC 版)

久我常通
こが つねみち
『貴族院要覧』より
生年月日 1873年2月7日
没年月日 (1950-11-17) 1950年11月17日(77歳没)
出身校 学習院修了
前職 実業家
所属政党 火曜会
称号 従三位
子女 長男・久我通顕
親族 叔父・北畠通城(兵庫県知事)
父・久我通久(貴族院議員)
娘婿・五十嵐佐市(衆議院議員)

在任期間 1921年10月20日 - 1936年11月5日
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久我 常通(こが つねみち、1873年明治6年〉2月7日[1] - 1950年昭和25年〉11月17日[1])は、日本の実業家華族貴族院侯爵議員

経歴

華族・久我通久の息子として生まれる[1][2]。父の隠居に伴い、1921年大正10年)10月20日、侯爵を襲爵して[1][3]貴族院侯爵議員に就任[4][5]火曜会に所属し1936年(昭和11年)11月5日に隠居するまで在任した[1][5][6]

学習院を修了[5]1899年(明治32年)以降、両国銀行重役、護国生命保険会社重役、東日本炭鉱 (株) 社長などを務めた[5]。東日本炭鉱は乱脈経営を行っていた会社で、常道はその侯爵としての信用を利用されて社長に就任した[7]。また、1932年(昭和7年)には自邸内に事務所を置かせた欠食児童同情協会の詐欺事件が起こっている[7]

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』上巻、588-589頁。
  2. ^ a b 『人事興信録』第4版、こ41頁。
  3. ^ 『官報』第2767号、大正10年10月21日。
  4. ^ 『官報』第2768号、大正10年10月22日。
  5. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』16頁。
  6. ^ 『官報』第2962号、昭和11年11月14日。
  7. ^ a b 『華族総覧』252頁。
  8. ^ 『官報』第3443号「叙任及辞令」1924年2月18日。
  9. ^ 官報 1929年04月11日 4コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 官報 1935年03月20日 2コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

  • 千田稔『華族総覧』講談社〈講談社現代新書〉、2009年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。


日本の爵位
先代
久我通久
侯爵
久我家第2代
1921年 - 1936年
次代
久我通顕



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