嵯峨公勝
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嵯峨 公勝(さが きんとう)は、江戸時代末期から昭和初期にかけての華族・侯爵。正親町三条実愛(嵯峨実愛)の子。母は鶴。妻は中山忠光の娘・南加。愛新覚羅溥傑夫人浩の祖父。嵯峨家(正親町三条家)29代。娘の岳父は雨宮敬次郎。
- ^ 『官報』第1363号、明治21年1月18日。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』17頁。
- ^ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の昭和』 中公文庫 ISBN 978-4122035423、243-245p
- ^ 浅見、252p
- ^ 『官報』第5688号「叙任及辞令」1902年6月21日。
- ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
- ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
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