正親町三条実蔭とは? わかりやすく解説

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正親町三条実蔭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/11 06:46 UTC 版)

本来の表記は「正親町三條實蔭」です。この記事に付けられたページ名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
 
正親町三条実蔭
時代 鎌倉時代前期
生誕 正治元年(1199年
死没 仁治2年5月5日1241年6月15日
改名 実茂→実蔭
官位 従三位参議
主君 後鳥羽上皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族 正親町三条家
父母 父:正親町三条公氏、母:藤原泰通の娘
兄弟 実蔭、実連、教誉、実位、叡澄
道寛の娘
公貫、公行、公蔭、公種、公遍
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正親町三条 実蔭(おおぎまちさんじょう さねかげ)は、鎌倉時代前期の公卿権大納言正親町三条公氏の子。母は按察使藤原泰通の娘[1]。初名は実茂[2]官位従三位参議備中権守

経歴

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『尊卑分脈』の「藤原泰通」の項ではこの女性に関する記述がない。
  2. ^ 『尊卑分脈』の記事による。
  3. ^ 宣陽門院当年御給。
  4. ^ 安嘉門院当年御給。
  5. ^ 安嘉門院当年御給。

参考文献

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 延応元年(1239年)に実蔭が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「正親町三条実蔭」、および「藤原泰通」の項。



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