嵯峨公元とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 嵯峨公元の意味・解説 

嵯峨公元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 16:12 UTC 版)

嵯峨 公元(さが きんもと、1922年大正11年〉1月12日 - 1998年平成10年〉10月26日)は、日本の旧華族嵯峨実勝の長男。母は浜口吉右衛門の娘・尚子。嵯峨家31代当主。長姉が愛新覚羅溥傑夫人の。妻は春陽堂書店社長・和田利彦の次女[1]

略歴

東京大学を卒業して陸軍に入り、終戦時は陸軍少尉。1941年、杉並の邸宅を鈴木三郎助味の素創業社長)に売却し、横浜市港北区日吉に移住する。

1961年に、長姉の浩が北京の夫・溥傑の元に帰ってから亡くなるまで支えた。父の跡を継いで第2代町田学園園長、町田学園第4代理事長を務める傍ら、姉を支えるために1964年に冷凍船株式会社を設立し、三国間貿易を始めた。そのビジネスを兼ねて日本と中国を往来し、浩夫婦に物資を送るなど援助した。文化大革命の嵐の最中にも浩の求めに応じ、命がけで物資を運んだ。その訪中は100回を超える。『お姉さんは大変な結婚をした人だから、どんな事をしても助けてあげないと』というのが口癖だったという。また、浩や義兄溥傑が訪日した際は公私の行事をとりしきっていた。

1998年、76歳で死去。

子孫

  • 長男:実允(1963年4月22日生[2]

脚注

  1. ^ 『人事興信録 第22版 上』(人事興信所、1964年)さ68頁
  2. ^ 平成新修旧華族家系大成上p630

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「嵯峨公元」の関連用語

嵯峨公元のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



嵯峨公元のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの嵯峨公元 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS