正親町三条公秀とは? わかりやすく解説

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正親町三条公秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 17:33 UTC 版)

正親町三条 公秀(おおぎまちさんじょう きんひで、旧字体正親町三條 公󠄁秀)は、鎌倉時代後期の公卿。正二位内大臣正親町、または八条と号す。父は権大納言正親町三条実躬、母は僧聖海の娘。


  1. ^ 正和5年(1316年)7月3日、前権中納言民部卿であった父実躬が権大納言に任ぜられる。同月22日には民部卿を止め、9月16日には権大納言を辞退。文保元年(1317年)2月24日に出家した。
  2. ^ 任大臣の当日は饗禄ならびに客座が設けられなかった。三大臣は官の席次により列すべき宣下があった。


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