正親町三条公敦
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正親町三条 公敦(おおぎまちさんじょう きんあつ)は、室町時代初期の公卿。准大臣正親町三条実音の子。官位は従二位、権大納言。
経歴
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 応永3年(1396年)1月28日、能登権守を兼ねる。この時、参議正四位下[1]。同年9月12日、参議を辞退。
- 応永6年(1399年)4月22日、権中納言に任ぜられ従三位に叙せられる。
- 応永12年(1405年)3月17日、権大納言に任ぜられる[2]。同年7月11日、権大納言を辞退。
- 応永13年(1406年)1月6日、正三位に昇叙。
- 応永14年(1407年)1月5日、従二位に昇叙。
- 応永16年(1409年)、薨去。
正親町三条家の中継ぎ
正親町三条家の傍流の出身であるが、本流の正親町三条実豊が早世したため、従三位のまま権大納言に任ぜられるという異例な昇進をした。当時、従三位で権大納言に任ぜられたのは足利将軍家だけである。
脚注
参考文献
- 正親町三条公敦のページへのリンク