久我長通とは? わかりやすく解説

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久我長通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 09:35 UTC 版)

久我 長通(こが ながみち)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。後中院太政大臣と号す。従一位太政大臣。父は太政大臣久我通雄、母は源仲基の娘。子は太政大臣に至った久我通相


  1. ^ 『園太暦』延慶4年2月23日の条にあるように父通雄から義絶されたことが原因と考えられる。
  2. ^ 『公卿補任』によれば、同年11月には前年に誕生した通定が叙爵され侍従に任ぜられている。
  3. ^ 『公卿補任』によれば勅により還任したとある。
  4. ^ 『花園天皇宸記』9月29日の条には、父通雄に義絶されていたが正大納言に還任した、とある。これは義絶していたのを悔い返したのか、と不審に思う記述がある。
  5. ^ 『公卿補任』の同日の条によれば淳和奨学両院別当を兼ねていたか。
  6. ^ 『久我家文書』所収、観応元年(1350年)8月13日の日付あり。
  7. ^ 千種町方4町、源氏町方4町、小六条方4町、土御門高倉方4町、中院方4町、三条御匣、河崎北泉、六条朱雀大光明寺、春日西洞院方4町。方4町とあるのは、南北朝から室町時代にかけての通例で「四方が1町」の意味のようである。


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