旧田中家住宅とは? わかりやすく解説

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旧田中家住宅(近江商人亭)主屋


旧田中家住宅(近江商人亭)大広間


旧田中家住宅(近江商人亭)茶室

名称: 旧田中家住宅(近江商人亭茶室
ふりがな きゅうたなかけじゅうたくおうみしょうにんてい)しゃしつ
登録番号 25 - 0264
員数(数): 1
員数(単位):
構造 木造平屋建瓦葺建築面積35
時代区分 大正
年代 大正8年
代表都道府県 滋賀県
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通46-1
登録基準 造形規範となっているもの
備考(調査): 近江愛知川町歴史』(愛知川町編集委員会、2007)。
施工者
解説文: 主屋西北雁行形に配し西面を北土蔵接続桁行5.8m梁間6.0mの平屋建入母屋造桟瓦葺。東妻を庭側に見せ落縁をつけて落ち着いた佇まいとする。内部は八畳間の北面を3分し、丸竹やの落掛など多彩な銘木用いてトコまわりの意匠を凝らす

旧田中家住宅(近江商人亭)南土蔵


旧田中家住宅(近江商人亭)北土蔵


旧田中家住宅(旧所在 岐阜県高山市冬頭町)

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旧田中家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/07 14:42 UTC 版)

旧田中家住宅
情報
用途 川口市立文化財センター
旧用途 住居
設計者 櫻井忍夫(洋館)、府場陽二(和館)
建築主 田中徳兵衛
管理運営 川口市
構造形式 洋館、和館、文庫蔵、煉瓦(れんが)塀
建築面積
※洋館:174,57 m²、和館:160.05
竣工 洋館:大正12年(1923年)竣工、和館:昭和9年(1934年)上棟
所在地 埼玉県川口市末広1丁目796番地
座標 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度 / 35.804528; 139.733167座標: 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度 / 35.804528; 139.733167
文化財 国の重要文化財
指定・登録等日 2018年平成30年)12月25日
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旧田中家住宅(きゅうたなかけじゅうたく)は、埼玉県川口市にある歴史的建造物である。2018年平成30年)12月25日に国の重要文化財に指定された。川口市内では初の重要文化財指定物件である。

概要

田中家は川口の旧家で、当主は代々徳兵衛を名乗った。江戸時代末期の初代徳兵衛は農業を営んだが、2代徳兵衛の時代、1871年(明治4年)からは麦味噌醸造と材木商を営んで繁栄した。現存する住宅は4代徳兵衛(1875 - 1947年)が建てたものである。同人は家業のほか、埼玉県議会議員や貴族院議員も務めた。洋館は1921年(大正10年)上棟、1923年竣工。設計監督は櫻井忍夫である。洋館の裏手に建つ和館は1934年(昭和9年)上棟。設計監督は府場陽二である。洋館の北側に建つ文庫蔵(旧仕込倉)は明治末年頃の建立である[1]

洋館、和館、文庫蔵(旧仕込倉)、煉瓦塀2基の3棟2基が2006年(平成18年)に国の登録有形文化財になった後、2018年(平成30年)12月25日には国の重要文化財に指定された[2]。敷地内には上記建物のほか、茶室と池泉回遊式の日本庭園があり、川口市立文化財センター分館として一般公開されている。

この住宅は、地元の名士の住居として、接客空間が充実しているのが特色である。洋館は関東大震災以前に上棟した煉瓦造3階建ての住宅建築として貴重な存在である[1]

建造物

洋館は日光御成道に面して建つ、煉瓦造3階建ての建物。西を正面とし、北から蔵部、主体部、台所部の3つに分かれている。建築面積は蔵部16.73平方メートル、主体部93.41平方メートル、台所部64.43平方メートル、計174.57平方メートルである。主体部の一部が西側へ張り出して、ファサード(正面外観)に変化を与えている。外観は化粧煉瓦積みで、建物の角にあたる部分には柱形を造り出し、人造石洗い出しによる窓枠を1階から3階まで通して、縦方向の線を強調している。屋上は西側突出部の正面にはペディメント(破風)を設け、他は欄干風のパラペット(胸壁)を設け、これらを銅板張りとする。柱形の上部には銅板のメダイヨン(円形装飾)を設ける。1階には玄関、家人用の食堂、台所があり、西側突出部は洋間の応接室とする。2階には座敷、次の間があり、西側突出部は洋間の書斎とする。3階には洋間の大広間があり、西側突出部は洋間の「控えの間」とする。1階の玄関は天井が和式の格天井で、神棚を設けるなど、古い商家の帳場のような構えとする。以上のように、この建物は、3階の大広間などに西洋古典式の内装をほどこす一方で、和風の空間も混在している[1]

和館は木造一部2階建てで、寄棟造桟瓦葺き。建築面積は160.05平方メートル。洋館の裏手(東)に接続する東西棟の建物である。1階は西から東へ仏間(10畳)、次の間(12畳半)、座敷(15畳)が並ぶ。間仕切りの襖を取り払うと、37畳半の広大な空間になる。仏間の上に2階を設け、8畳の和室と次の間(4畳半)がある[1]

文庫蔵(旧仕込倉)は木造平屋建て、切妻造、桟瓦葺き。建築面積は99.15平方メートル。この蔵は、洋館より先に建っていたことが古写真から明らかで、明治末年頃の建立である[1]

アクセス

徒歩

国際興業バス

  • 川口駅東口、11 - 13系統
    • 末広1丁目停留所より徒歩3分。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 文化庁文化財部『月刊文化財』第664号、第一法規、2019年、 2,35-40頁、 NCID AN00221652
  2. ^ 平成30年12月25日文部科学省告示第231号

関連項目

外部リンク


旧田中家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 03:19 UTC 版)

府中市郷土の森博物館」の記事における「旧田中家住宅」の解説

幕末から明治期呉服店で、府中宿代表的な大店明治天皇の「御座所」としても使われ奥座敷移築し当時資料を基に屋敷全体復元されたものである建築年代 - 明治初期所在地 - 東京都府中市宮町

※この「旧田中家住宅」の解説は、「府中市郷土の森博物館」の解説の一部です。
「旧田中家住宅」を含む「府中市郷土の森博物館」の記事については、「府中市郷土の森博物館」の概要を参照ください。

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