旧田中家住宅(近江商人亭)主屋
名称: | 旧田中家住宅(近江商人亭)主屋 |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく(おうみしょうにんてい)しゅおく |
登録番号: | 25 - 0262 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積181㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正8年 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通町46-1他 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 『近江愛知川町の歴史』(愛知川町史編集委員会、2007)。建築年代は棟札による。大工は棟梁満島政吉、脇棟梁辻久彌。 |
施工者: | |
解説文: | 敷地中央に西面して建つ。切妻造桟瓦葺で南面に下屋庇を設ける。木造2階建一部平屋建、上・下階とも田の字型に座敷を配する。下階では南側を玄関とし、北側の座敷部は差物で柱を固める。また東・西面に縁を付け、庭側を開放的とするなど、上質なつくりの住宅。 |
旧田中家住宅(近江商人亭)大広間
名称: | 旧田中家住宅(近江商人亭)大広間 |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく(おうみしょうにんてい)おおひろま |
登録番号: | 25 - 0263 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、瓦葺、建築面積80㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正8年頃 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通町46-1他 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 『近江愛知川町の歴史』(愛知川町史編集委員会、2007)。 |
施工者: | |
解説文: | 主屋の東方に、庭を挟んで建つ。木造平屋建、入母屋造桟瓦葺で、東・北・西面に下屋庇をまわし、南面に入母屋造の突出部を付ける。十畳座敷2室の三方に縁をまわし、周囲にガラス戸を建て、庭と一体的な空間をもつ。内部も良材を用いて丁寧なつくりとする。 |
旧田中家住宅(近江商人亭)茶室
名称: | 旧田中家住宅(近江商人亭)茶室 |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく(おうみしょうにんてい)しゃしつ |
登録番号: | 25 - 0264 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造平屋建、瓦葺、建築面積35㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正8年頃 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通町46-1他 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 『近江愛知川町の歴史』(愛知川町史編集委員会、2007)。 |
施工者: | |
解説文: | 主屋西北に雁行形に配し、西面を北土蔵と接続。桁行5.8m梁間6.0mの平屋建、入母屋造桟瓦葺。東妻を庭側に見せ、落縁をつけて落ち着いた佇まいとする。内部は八畳間の北面を3分し、丸竹や松の落掛など多彩な銘木を用いて、トコまわりの意匠を凝らす。 |
旧田中家住宅(近江商人亭)南土蔵
名称: | 旧田中家住宅(近江商人亭)南土蔵 |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく(おうみしょうにんてい)みなみどぞう |
登録番号: | 25 - 0265 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積38㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治25年 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通町46-1他 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 『近江愛知川町の歴史』(愛知川町史編集委員会、2007)。 建築年代は棟札による。大工は出口幸次郎。 |
施工者: | |
解説文: | 主屋と大広間を繋ぐ廊下の南に接する蔵。桁行8.1m梁間4.7m、土蔵造2階建、切妻造妻入桟瓦葺。西面の出入口は漆喰塗の扉枠に植物紋の渦や家紋の「一升」を象り、東面妻壁では丸窓の上に唐破風状の漆喰塗庇を付けるなど、技巧的な左官仕事が特徴。 |
旧田中家住宅(近江商人亭)北土蔵
名称: | 旧田中家住宅(近江商人亭)北土蔵 |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく(おうみしょうにんてい)きたどぞう |
登録番号: | 25 - 0266 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積27㎡ |
時代区分: | 大正 |
年代: | 大正8年頃 |
代表都道府県: | 滋賀県 |
所在地: | 滋賀県愛知郡愛荘町中宿字通町46-1他 |
登録基準: | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
備考(調査): | 『近江愛知川町の歴史』(愛知川町史編集委員会、2007)。 |
施工者: | |
解説文: | 敷地の北隅、茶室の西面に接続する。桁行6.1m梁間4.4m、土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺。外壁は漆喰仕上げで、腰の水切り下を竪板張とし、屋根は置屋根形式である。鉢巻に特徴的な欠眉をつけるなど、屋敷の西北隅にあって歴史的な街路景観を形成する。 |
旧田中家住宅(旧所在 岐阜県高山市冬頭町)
名称: | 旧田中家住宅(旧所在 岐阜県高山市冬頭町) |
ふりがな: | きゅうたなかけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1832 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1971.12.28(昭和46.12.28) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 岐阜県 |
都道府県: | 岐阜県高山市上岡本町1-590飛騨民俗村構内 |
所有者名: | 高山市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行12.1m、梁間10.9m、切妻造、東面土庇附属、板葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 18世紀初 |
解説文: | 飛騨地方の切妻造板葺石置き屋根をもつ一般農家で、居室が土座式になる。近世末に移築されているが、建設当初の形に復原可能であり、この種小型民家の年代の古いものとしては稀有の遺例である。 |
旧田中家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/07 14:42 UTC 版)
旧田中家住宅 | |
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情報 | |
用途 | 川口市立文化財センター |
旧用途 | 住居 |
設計者 | 櫻井忍夫(洋館)、府場陽二(和館) |
建築主 | 田中徳兵衛 |
管理運営 | 川口市 |
構造形式 | 洋館、和館、文庫蔵、煉瓦(れんが)塀 |
建築面積 |
※洋館:174,57 m²、和館:160.05 |
竣工 | 洋館:大正12年(1923年)竣工、和館:昭和9年(1934年)上棟 |
所在地 | 埼玉県川口市末広1丁目796番地 |
座標 | 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度座標: 北緯35度48分16.3秒 東経139度43分59.4秒 / 北緯35.804528度 東経139.733167度 |
文化財 | 国の重要文化財 |
指定・登録等日 | 2018年(平成30年)12月25日 |
旧田中家住宅(きゅうたなかけじゅうたく)は、埼玉県川口市にある歴史的建造物である。2018年(平成30年)12月25日に国の重要文化財に指定された。川口市内では初の重要文化財指定物件である。
概要
田中家は川口の旧家で、当主は代々徳兵衛を名乗った。江戸時代末期の初代徳兵衛は農業を営んだが、2代徳兵衛の時代、1871年(明治4年)からは麦味噌醸造と材木商を営んで繁栄した。現存する住宅は4代徳兵衛(1875 - 1947年)が建てたものである。同人は家業のほか、埼玉県議会議員や貴族院議員も務めた。洋館は1921年(大正10年)上棟、1923年竣工。設計監督は櫻井忍夫である。洋館の裏手に建つ和館は1934年(昭和9年)上棟。設計監督は府場陽二である。洋館の北側に建つ文庫蔵(旧仕込倉)は明治末年頃の建立である[1]。
洋館、和館、文庫蔵(旧仕込倉)、煉瓦塀2基の3棟2基が2006年(平成18年)に国の登録有形文化財になった後、2018年(平成30年)12月25日には国の重要文化財に指定された[2]。敷地内には上記建物のほか、茶室と池泉回遊式の日本庭園があり、川口市立文化財センター分館として一般公開されている。
この住宅は、地元の名士の住居として、接客空間が充実しているのが特色である。洋館は関東大震災以前に上棟した煉瓦造3階建ての住宅建築として貴重な存在である[1]。
建造物
洋館は日光御成道に面して建つ、煉瓦造3階建ての建物。西を正面とし、北から蔵部、主体部、台所部の3つに分かれている。建築面積は蔵部16.73平方メートル、主体部93.41平方メートル、台所部64.43平方メートル、計174.57平方メートルである。主体部の一部が西側へ張り出して、ファサード(正面外観)に変化を与えている。外観は化粧煉瓦積みで、建物の角にあたる部分には柱形を造り出し、人造石洗い出しによる窓枠を1階から3階まで通して、縦方向の線を強調している。屋上は西側突出部の正面にはペディメント(破風)を設け、他は欄干風のパラペット(胸壁)を設け、これらを銅板張りとする。柱形の上部には銅板のメダイヨン(円形装飾)を設ける。1階には玄関、家人用の食堂、台所があり、西側突出部は洋間の応接室とする。2階には座敷、次の間があり、西側突出部は洋間の書斎とする。3階には洋間の大広間があり、西側突出部は洋間の「控えの間」とする。1階の玄関は天井が和式の格天井で、神棚を設けるなど、古い商家の帳場のような構えとする。以上のように、この建物は、3階の大広間などに西洋古典式の内装をほどこす一方で、和風の空間も混在している[1]。
和館は木造一部2階建てで、寄棟造、桟瓦葺き。建築面積は160.05平方メートル。洋館の裏手(東)に接続する東西棟の建物である。1階は西から東へ仏間(10畳)、次の間(12畳半)、座敷(15畳)が並ぶ。間仕切りの襖を取り払うと、37畳半の広大な空間になる。仏間の上に2階を設け、8畳の和室と次の間(4畳半)がある[1]。
文庫蔵(旧仕込倉)は木造平屋建て、切妻造、桟瓦葺き。建築面積は99.15平方メートル。この蔵は、洋館より先に建っていたことが古写真から明らかで、明治末年頃の建立である[1]。
アクセス
徒歩
国際興業バス
- 川口駅東口、11 - 13系統
- 末広1丁目停留所より徒歩3分。
脚注
関連項目
外部リンク
- 旧田中家住宅 - 川口市立文化財センター
旧田中家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 03:19 UTC 版)
「府中市郷土の森博物館」の記事における「旧田中家住宅」の解説
幕末から明治期の呉服店で、府中宿の代表的な大店。明治天皇の「御座所」としても使われた奥座敷を移築し、当時の資料を基に屋敷全体を復元されたものである。 建築年代 - 明治初期 旧所在地 - 東京都府中市宮町
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