八軒屋
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八軒屋
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「福田町 (倉敷市)#浦田」も参照 粒江地域の北部で、倉敷川西岸に位置し、新田地域と隣接している。 上記の粒浦と同様、近世初頭、藤戸海峡が周辺の干拓事業の影響で衰退し草野になっていた地区である。承応元年から3年間で、備前岡山藩が開墾して新田を造成、入植者を受け入れた。最初の入植が8軒であったため、八軒屋新田と称し、備前国児島郡に編入した。 『吉備温故秘録』には、朱印外として田畑27町4反、家32軒、男女210人を挙げている。 天城領に属し、児島郡浦田村の枝村(飛び地)であった。『備陽記』では八軒屋は「御朱印高の外」として石高418石余り、田畑27町4反余り、家数33軒、人口210軒を記す。『岡山藩領手鑑』では、直高229石余りで、田22町余り、畑5町2反余り、樋9ヶ所、関戸2ヶ所、分木4ヶ所、橋1ヶ所、家数43軒、人口246人、牛22頭とある。 明治8年に浦田村枝村から独立村となる。
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