八軒屋とは? わかりやすく解説

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はちけんや【八軒屋】

読み方:はちけんや

大坂天満橋から天神橋までの淀川南岸地域。もと、伏見通いの淀舟発着場


八軒屋

読み方:ハチケンヤ(hachikenya)

所在 岡山県倉敷市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒710-0037  岡山県倉敷市八軒屋

八軒屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 06:18 UTC 版)

八軒屋(はちけんや)

町丁・大字

その他の地名

古地名


八軒屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 19:50 UTC 版)

粒江」の記事における「八軒屋」の解説

福田町 (倉敷市)#浦田」も参照 粒江地域北部で、倉敷川西岸位置し新田地域隣接している上記粒浦と同様、近世初頭藤戸海峡周辺干拓事業影響衰退し草野になっていた地区である。承応元年から3年間で、備前岡山藩開墾して新田造成入植者受け入れた最初の入植が8軒であったため、八軒屋新田称し備前国児島郡編入した。 『吉備温故秘録』には、朱印外として田畑27町4反、家32軒、男女210人を挙げている。 天城領に属し児島郡浦田村枝村飛び地であった。『備陽記』では八軒屋は「御朱印高の外」として石高418余り田畑27町4反余り家数33軒、人口210軒を記す。『岡山藩領手鑑』では、直高229余りで、田22余り、畑5町2反余り9ヶ所、関戸2ヶ所、分木4ヶ所、1ヶ所、家数43軒、人口246人、牛22頭とある。 明治8年浦田村枝村から独立となる。

※この「八軒屋」の解説は、「粒江」の解説の一部です。
「八軒屋」を含む「粒江」の記事については、「粒江」の概要を参照ください。

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