粒浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 19:50 UTC 版)
上記粒江の北側、吉岡川の北岸に位置する。 当地は近世初頭、藤戸海峡が周辺の干拓事業の結果、衰退し広い草野になっていた場所である。粒江村と浦田村の百姓が中心となり、この草野を開墾、寛永20年に118町歩の新田が造成されている。しかし、吉備の穴海の干拓により児島が陸続きとなった際、吉岡川を境に北を備中国窪屋郡、南を備前国児島郡と定めており、当地は吉岡川北岸に位置するが、備前国領である児島郡粒江・浦田両村民により開発されたため、備前備中両国間で帰属を巡り紛争が生じた。双方の役人が立会の上、新たに国境を定め、その結果当地は備前国児島郡の所属となった。 その後、開墾者の出身地である粒江と浦田から頭文字を一つずつとり、粒浦新田村と名付けられた。 現代になり、当地東部に東粒浦団地ができ、その地を「東粒浦」として新たな大字として分離している。
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