第2次分割:1349年 – 1503年
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1349年から1503年にかけて、バイエルンは2回目の分割下に置かれた。1347年にルートヴィヒ4世が死ぬと、2年後に6人の息子の間で上下バイエルンは再び分割された。1353年に下バイエルンはバイエルン=ランツフートとバイエルン=シュトラウビングに分割された。上バイエルンは1363年にバイエルン=シュトラウビングとバイエルン=ランツフートに分割された。 1375年のシュテファン2世の死後、1392年にバイエルン=ランツフートは更に分割、バイエルン=ランツフートは3男のヨハン2世がバイエルン=ミュンヘンを、次男のフリードリヒが小バイエルン=ランツフートを、長男のシュテファン3世がバイエルン=インゴルシュタットをそれぞれ相続する事で公国は3つに分割された。 1349年 – 1363年下バイエルン公1353年に下バイエルンはバイエルン=ランツフートとバイエルン=シュトラウビングに分割された。 上バイエルン公1363年に上バイエルンはバイエルン=ランツフートに吸収された。 バイエルン=ランツフート公 バイエルン=シュトラウビング公ホラント伯、ゼーラント伯、エノー伯も参照。 バイエルン=ランツフート公 バイエルン=シュトラウビング公 1363年 – 1425/29年バイエルン=ランツフート公1392年にバイエルン=ランツフートはバイエルン=ミュンヘン、小バイエルン=ランツフート、バイエルン=インゴルシュタットの3公国に分割された。 バイエルン=シュトラウビング公1429年にバイエルン=シュトラウビングは他のバイエルン諸侯によって分割された。 バイエルン=ミュンヘン公 バイエルン=ランツフート公 バイエルン=インゴルシュタット公 バイエルン=ミュンヘン公 バイエルン=ランツフート公 バイエルン=インゴルシュタット公 1429年 – 1503年バイエルン=ミュンヘン公1467年にバイエルン=ミュンヘンは小バイエルン=ミュンヘンとバイエルン=ダッハウに分割された。 バイエルン=ランツフート公 バイエルン=インゴルシュタット公1477年にバイエルン=インゴルシュタットはバイエルン=ランツフートに吸収された。 バイエルン=ミュンヘン公 バイエルン=ダッハウ公1501年にバイエルン=ダッハウはバイエルン=ミュンヘンと統合した。 バイエルン=ランツフート公1503年にバイエルン=ランツフートはバイエルン=ミュンヘンに吸収された。 バイエルン=ミュンヘン公 ランツフート継承戦争(1503年 - 1505年)の結果、バイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト4世がバイエルンの支配者となった。1506年にアルブレヒト4世は公国の分裂を防ぐ為に長子相続制を制定した。 1623年にマクシミリアン1世は選帝侯の地位を獲得した。以後のバイエルン公はバイエルン選帝侯と呼ばれる。
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