張鼓峰事件とは? わかりやすく解説

ちょうこほう‐じけん〔チヤウコホウ‐〕【張鼓峰事件】

読み方:ちょうこほうじけん

昭和13年1938満州ソ連朝鮮国近くの張鼓峰で、国境問題めぐって起きた日ソ両軍衝突事件


張鼓峰事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 15:01 UTC 版)

座標: 北緯42度26分09秒 東経130度36分40秒 / 北緯42.435905度 東経130.611005度 / 42.435905; 130.611005


注釈

  1. ^ ソ連軍はT-26軽戦車257輌、BT-5快速戦車81輌、SU-5自走砲13輌を投入。中でもT-26は計85輌が戦闘不能となる損害を出し、9輌が全損、37輌が回収され後送、39輌が軽度の損傷や故障により現地で修理されている。

出典

  1. ^ 大陸縦断 山本実彦 1938年
  2. ^ a b 平井友義『ユーラシアブックレット174 スターリンの赤軍粛清』東洋書店、2012年、54-55頁。ISBN 978-4-86459-039-6 
  3. ^ Alvin Coox, Nomonhan (Stanford University Press, 2003), p124
  4. ^ John Erickson (historian), The Soviet High Command, MacMillan & Co. Ltd, 1962, p.497ー8
  5. ^ Хасан // Советская военная энциклопедия (в 8 томах) / под ред. А. А. Гречко. том 8. М.: Воениздат, 1976. стр.366?367
  6. ^ А. А. Кошкин. ≪Кантокуэн≫ ? ≪Барбаросса≫ по-японски. Почему Япония не напала на СССР. М., ≪Вече≫, 2011.
  7. ^ General-Lieutenant G.F.KRlVOSHEYEV (1993年). “SOVIET ARMED FORCES LOSSES IN WARS,COMBAT OPERATIONS MILITARY CONFLICTS”. MOSCOW MILITARY PUBLISHING HOUSE. p. 62. 2013年11月23日閲覧。


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張鼓峰事件

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日ソ国境紛争」の記事における「張鼓峰事件」の解説

詳細は「張鼓峰事件」を参照 1938年昭和13年7月豆満江近くの張鼓峰で、日ソ両軍大規模な衝突発生した。張鼓峰については国境線解釈相違があったが、従前日ソ両軍とも張鼓峰自体兵力常駐してはいなかった。 7月中旬ソ連軍が張鼓峰に部隊進めたに対して日本側の警備担当朝鮮軍隷下第19師団警備強化した監視任務日本兵射殺されたのをきっかけ緊張高まり7月29日から戦闘始まった日本側が不拡大方針第19師団一部のみで対処したに対してソ連軍戦車航空機多数出撃させ、激戦となった8月入って日本軍増援砲兵部隊などを出動させることにしたが、モスクワでの日ソ交渉により8月11日停戦決まった日ソ双方停戦時点で張鼓峰を占領していたと主張している。動員兵力日本軍9千人ソ連軍3万人上り死傷者日本軍1500人、ソ連軍3500人というこれまで遥かに上回る規模となった

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張鼓峰事件

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ノモンハン事件」の記事における「張鼓峰事件」の解説

詳細は「張鼓峰事件」を参照 1938年7月満州国東部豆満江近くの張鼓峰で、日ソ両軍大規模な衝突発生した(張鼓峰事件)。7月中旬ソ連軍が張鼓峰に進軍日本朝鮮軍隷下第19師団警備強化した日本国境守備隊監視兵が射殺されたのをきっかけ7月29日から戦闘始まった(張鼓峰事件は満ソ国境起こったが、関東軍満州国軍ではなく日本朝鮮軍戦った)。しかし、日本不拡大方針第19師団一部のみで対処した。これに対してソ連軍戦車航空機多数出撃させた。8月入って日本軍増援砲兵部隊出動させたが、モスクワでの日ソ交渉により8月11日停戦日ソ双方停戦時点で張鼓峰を占領していたと主張している。動員兵力ソ連軍3万人に対して日本軍9千人死傷者日本軍1,500名、ソ連軍3,500であった

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