張鼓峰事件
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座標: 北緯42度26分09秒 東経130度36分40秒 / 北緯42.435905度 東経130.611005度
注釈
- ^ ソ連軍はT-26軽戦車257輌、BT-5快速戦車81輌、SU-5自走砲13輌を投入。中でもT-26は計85輌が戦闘不能となる損害を出し、9輌が全損、37輌が回収され後送、39輌が軽度の損傷や故障により現地で修理されている。
出典
- ^ 大陸縦断 山本実彦 1938年
- ^ a b 平井友義『ユーラシアブックレット174 スターリンの赤軍粛清』東洋書店、2012年、54-55頁。ISBN 978-4-86459-039-6。
- ^ Alvin Coox, Nomonhan (Stanford University Press, 2003), p124
- ^ John Erickson (historian), The Soviet High Command, MacMillan & Co. Ltd, 1962, p.497ー8
- ^ Хасан // Советская военная энциклопедия (в 8 томах) / под ред. А. А. Гречко. том 8. М.: Воениздат, 1976. стр.366?367
- ^ А. А. Кошкин. ≪Кантокуэн≫ ? ≪Барбаросса≫ по-японски. Почему Япония не напала на СССР. М., ≪Вече≫, 2011.
- ^ General-Lieutenant G.F.KRlVOSHEYEV (1993年). “SOVIET ARMED FORCES LOSSES IN WARS,COMBAT OPERATIONS MILITARY CONFLICTS”. MOSCOW MILITARY PUBLISHING HOUSE. p. 62. 2013年11月23日閲覧。
- 1 張鼓峰事件とは
- 2 張鼓峰事件の概要
- 3 背景
- 4 結果と影響
- 5 脚注
張鼓峰事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 17:18 UTC 版)
詳細は「張鼓峰事件」を参照 1938年(昭和13年)7月、豆満江近くの張鼓峰で、日ソ両軍の大規模な衝突が発生した。張鼓峰については国境線解釈に相違があったが、従前は日ソ両軍とも張鼓峰自体に兵力を常駐してはいなかった。 7月中旬にソ連軍が張鼓峰に部隊を進めたのに対して、日本側の警備担当の朝鮮軍隷下第19師団も警備を強化した。監視任務の日本兵が射殺されたのをきっかけに緊張が高まり、7月29日から戦闘が始まった。日本側が不拡大方針で第19師団の一部のみで対処したのに対して、ソ連軍は戦車や航空機多数を出撃させ、激戦となった。 8月に入って日本軍も増援の砲兵部隊などを出動させることにしたが、モスクワでの日ソ交渉により8月11日に停戦が決まった。日ソ双方が停戦時点で張鼓峰を占領していたと主張している。動員兵力は日本軍9千人、ソ連軍3万人に上り、死傷者も日本軍1500人、ソ連軍3500人というこれまでを遥かに上回る規模となった。
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張鼓峰事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
詳細は「張鼓峰事件」を参照 1938年7月、満州国東部、豆満江近くの張鼓峰で、日ソ両軍の大規模な衝突が発生した(張鼓峰事件)。7月中旬にソ連軍が張鼓峰に進軍、日本の朝鮮軍隷下第19師団も警備を強化した。日本の国境守備隊監視兵が射殺されたのをきっかけに7月29日から戦闘が始まった(張鼓峰事件は満ソ国境で起こったが、関東軍・満州国軍ではなく日本の朝鮮軍が戦った)。しかし、日本は不拡大方針で第19師団の一部のみで対処した。これに対してソ連軍は戦車や航空機多数を出撃させた。8月に入って日本軍も増援の砲兵部隊を出動させたが、モスクワでの日ソ交渉により8月11日に停戦。日ソ双方が停戦時点で張鼓峰を占領していたと主張している。動員兵力はソ連軍3万人に対して日本軍9千人。死傷者は日本軍1,500名、ソ連軍3,500名であった。
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