日本とラオスの関係とは? わかりやすく解説

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日本とラオスの関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 23:37 UTC 版)

日本とラオスの関係

日本

ラオス

日本とラオスの関係(にほんとラオスのかんけい、ラーオ語: ສາຍພົວພັນ ລາວ-ຍີ່ປຸ່ນ英語: Japan-Laos relations)は日本ラオス二国間関係を指す。日寮関係とも呼ぶ。ラオスは東京に大使館を、日本はヴィエンチャンに大使館を置いている。日本とラオスは1955年3月5日に国交を樹立した[1]

概要

第二次世界大戦中の1945年、当時ラオスはフランス保護領ラオスとしてフランスの植民地下にあったが、日本軍は明号作戦を発動してフランス軍を制圧、ルアンパバーン朝シーサワーンウォン国王(後のラオス王国初代国王)は4月8日に独立を宣言した。しかし、8月15日に日本が連合国軍に降伏するとシーサワーンウォン国王は一旦独立を撤回した。その後ラーオ・イサラが結成され臨時政府を設立、独立を宣言したが、フランス軍が再度侵入、制圧されることとなった。独立派はタイに亡命してネオ・ラーオ・イサラを組織、その後も第一次インドシナ戦争において対フランス闘争を続けた。

第4回アジア・太平洋水サミットにて行われた、日・ラオス首脳会談(2022年4月)

第一次インドシナ戦争終結後の1955年、日本はラオスと国交を樹立した後、1957年岸信介首相(当時)が日本の要人として初めてラオスを訪問した。1967年佐藤栄作首相(当時)がラオスを訪問した後、1989年にはカイソーン・ポムウィハーン首相がラオスの要人として初めて日本を訪問した。その後も、1995年にはカムタイ・シーパンドーン第2代首相が、2004年にはブンニャン・ウォーラチット第4代首相が来日、2000年には小渕恵三首相(当時)が、2004年には小泉純一郎首相(当時)がラオスを訪問している[2]

2012年3月、ラオス首相トーンシン・タムマヴォンが日本を訪問し、野田佳彦首相(当時)と首脳会談を行った[3]。また、2012年6月には皇太子徳仁(当時。令和時代の天皇)がラオスを初訪問している[4]

2025年1月、石破茂首相は官邸でラオスのソンサイ首相と会談した。共同声明で「今後の日・ラオス関係を議論し、両国関係を包括的・戦略的パートナーシップへと格上げすると合意した」と表明した。外務・防衛分野での次官級会議の立ち上げも決めた[5]

貿易

対ラオスの貿易輸出入額は2012年時点で以下のようになっている。日本への主要輸出品目はコーヒーケイ素などの無機化合物、衣類など、日本からの主要輸出品目は自動車や鉱山用機械となっている[6]

  • 対ラオス輸出額: 110億円(2012年)
  • 対ラオス輸入額: 90億円(2012年)

2010年代からは安価な労働力を求めて日本企業の進出も見られる。人件費の安さから労働集約型の部品製造に適しているとされ、矢崎総業トヨタ紡織などが2013年時点で進出している[7]。労働集約型のアパレル業界では他国における現地労働者の賃金上昇に伴い、例えば1990年代から韓国、2000年代では中国からの撤退の動きが見え、ラオスを含むメコン地域へのシフトが進むことは確実視されている[8]。2020年代の賃金予測でもラオスは優位を占めると見られている[8]。また光学機器の分野でもニコンタイからラオスに工場を移管する計画で、これは人件費が3分の1から4分の1に抑えられるという[9]。一方で弱点としては、内陸国のために港が使えない(ASEANで唯一海がない[10])、国内市場の小ささ(2012年時点でのIMFによる推定で638万人[11])による完成車の販売は他国と比較して多くは見込めない、といった点も指摘される[12]

支援活動

日本はラオスにとって世界最大の援助国であり、2012年時点で1584億円(有償含む)の資金協力および607億円の技術協力を行っている[6]。また、2003年には技術協力協定が、2008年には投資協定が締結されている[6]

政府開発援助(ODA)による資金・技術協力の例としては、2006年のヴィエンチャン1号線整備や2011年のワットタイ国際空港(ヴィエンチャン国際空港)のターミナル拡張[13]、2013年のターケーク郡上水道整備計画などのインフラ整備があり、この他にも小学校建設や医療体制改善計画などがある。

文化交流

東京都渋谷区代々木公園で開催されたラオスフェスティバル2019の様子

2020年時点で在日ラオス人の数は2,917人、2020年時点の在ラオス日本人の数は833人となっている[6]

日本は1976年より文化無償協力を実施しており、文化遺産保存、スポーツ交流、人材育成等様々な分野で交流を行っている[6]

サッカー分野では、日本サッカー協会ラオスサッカー連盟からの要請を受け、アジア貢献事業の一環として2012年よりサッカーラオス代表の監督に木村浩吉が就任[14]AFCチャレンジカップ2014ではラオス代表を本戦初出場に導いた。

外交使節

在ラオス日本大使

在ラオス日本大使館

  • 住所 : ヴィエンチャン都サイセッタ郡Sisangvon Road
  • アクセス : ビエンチャン公共バス、That Luang Public Space ເດີ່ນທາດຫລວງ (タート・ルアン広場)バス停より600m

駐日ラオス大使

氏名 在任期間 官職名 備考
1 ティアオ・カマオ[15] 1956年 - 1958年[16] 特命全権大使 信任状捧呈は10月19日[17]
カムキン・スヴァンラシ 1956年、1957年、1958年 - 1959年、1960年[16] 臨時代理大使
カンプイ・スクリサック 1959年 - 1960年[16] 臨時代理大使
2 ウートン・スパナポン 1960年 - 1964年[16] 特命全権大使
カムキン・スヴァンラシ 1960年[16] 臨時代理大使
ウドーン・サナニコーン 1961年、1962年、1963年、1964年[16] 臨時代理大使
Khamfone Boutsavath 1964年[16] 臨時代理大使
Bounlith Sakounhuong 1964年[16] 臨時代理大使
3 ニット・シンハラ 1964年 - 1968年[16] 特命全権大使 信任状捧呈は9月7日[18]
Bounlith Sakounhuong 1964年[16] 臨時代理大使
4 チャウ・ユット・ノカム 1968年 - 1972年[16] 特命全権大使 信任状捧呈は10月16日[19]
5 ティアオ・カムヒン 1972年 - 1976年 特命全権大使 信任状捧呈は11月29日[20][21]
6 ラーン・パタマウォン 1976年 - 1983年 特命全権大使 信任状捧呈は4月2日[22]
7 スパンタファングシー・シーサルームサック 1983年 - 1990年[23] 特命全権大使 信任状捧呈は9月20日[24]
8 カムシン・サヤコーン 1990年 - 1995年[25] 特命全権大使 信任状捧呈は5月28日[26][27]
9 トーンサーイ・ポーティサーン 1995年 - 2001年[28] 特命全権大使 信任状捧呈は9月21日[29][30]
ブンニョン・ソンナオン 2001年 - 2002年[31] 臨時代理大使
10 スックタボン・ケオラ 2002年 - 2006年[32] 特命全権大使 信任状捧呈は3月11日[33][34]
スーチャイ・ピラティボン 2006年 - 2007年[35] 臨時代理大使
11 シートン・チッニョーティン 2007年 - 2012年 特命全権大使 信任状捧呈は4月5日[36]
ブンネム・チュアンホム 2012年[37] 臨時代理大使
12 ケントン・ヌアンタシン 2012年 - 2016年 特命全権大使 信任状捧呈は4月4日[38]
旭日重光章受章[39]
ソムサヌック・ウォンサック 2016年 - 2017年[40] 臨時代理大使
13 ヴィロード・スンダーラー 2017年 - 2021年 特命全権大使 信任状捧呈は4月11日[41]
14 フォンサムット・アンラワン 2021年 - 2025年 特命全権大使 信任状捧呈は7月14日[42]
チットノイ・ヴォンカムヴィチット 2025年 - [43] 臨時代理大使

駐日ラオス大使館

脚注

  1. ^ 歴代大使リスト”. 在ラオス日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  2. ^ ラオス概要と日本との関係”. 在ラオス日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  3. ^ 日・ラオス首脳会談(概要)”. 外務省 (2012年3月16日). 2014年1月5日閲覧。
  4. ^ 皇太子殿下のラオス御訪問”. 在ラオス日本国大使館. 2014年1月5日閲覧。
  5. ^ (短信)日ラオス、関係格上げ 首相会談”. 日本経済新聞 (2025年1月22日). 2025年1月22日閲覧。
  6. ^ a b c d e ラオス人民民主共和国 - 基礎データ”. 外務省. 2014年1月5日閲覧。
  7. ^ 坂田 2013, pp. 34–35
  8. ^ a b 坂田 2013, p. 37
  9. ^ 坂田 2013, p. 36
  10. ^ 坂田 2013, p. 26
  11. ^ 坂田 2013, pp. 26–27
  12. ^ 坂田 2013, p. 35
  13. ^ 対ラオス無償資金協力「ビエンチャン国際空港拡張計画」”. 政府開発援助ホームページ. 2014年1月5日閲覧。
  14. ^ 公益財団法人 日本サッカー協会 2012年度第2回理事会”. 日本サッカー協会 (2012年5月10日). 2014年1月5日閲覧。
  15. ^ 『昭和三十一年十月 外務省公表資料集 第一号』”. 外務省情報文化局第一課 (1956年10月). 2025年5月3日閲覧。、p.124
  16. ^ a b c d e f g h i j k 鹿島守之助 (1974年). “『日本外交史 別巻3』”. 鹿島研究所出版会. 2024年6月13日閲覧。、p.725
  17. ^ 官報』第8948号(昭和31年10月22付)517頁
  18. ^ 官報』第11323号(昭和39年9月9日付)15頁
  19. ^ 官報』第12554号(昭和43年10月18日付)14頁
  20. ^ 『外務省公表集(昭和四十七年)』”. 外務省情報文化局第一課 (1974年3月1日). 2025年5月3日閲覧。、p.187
  21. ^ 官報』第13782号(昭和47年12月1日付)12頁
  22. ^ 官報』第14773号(昭和51年4月6日付)12頁
  23. ^ ご引見(平成2年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  24. ^ 官報』第16993号(昭和58年9月24日付)14頁
  25. ^ ご引見(平成7年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  26. ^ 信任状捧呈式(平成2年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  27. ^ 官報』第378号(平成2年5月30日付)12頁
  28. ^ ご引見(平成13年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  29. ^ 信任状捧呈式(平成7年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  30. ^ 官報』第1737号(平成7年9月25日付)13頁
  31. ^ 在日ラオス人民民主共和国大使館・総領事館”. Internet Archive. 外務省. 2001年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。
  32. ^ ご引見(平成18年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  33. ^ 信任状捧呈式(平成14年)”. 宮内庁. 2025年5月3日閲覧。
  34. ^ 官報』第3319号(平成14年3月13日付)11頁
  35. ^ 駐日外国公館リスト アジア”. Internet Archive. 外務省. 2006年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。
  36. ^ 新任駐日ラオス人民民主共和国大使の信任状捧呈について”. 外務省 (2007年4月4日). 2025年5月3日閲覧。
  37. ^ 駐日外国公館リスト アジア”. WARP. 外務省. 2012年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。
  38. ^ 新任駐日ラオス人民民主共和国大使の信任状捧”. Internet Archive. 外務省 (2012年4月4日). 2012年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。
  39. ^ 令和3年秋の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2021年11月3日). 2025年5月3日閲覧。、p.9
  40. ^ 駐日各国大使リスト”. WARP. 外務省 (2016年7月21日). 2016年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。
  41. ^ 駐日ラオス大使の信任状捧呈”. 外務省 (2017年4月11日). 2025年5月3日閲覧。
  42. ^ 駐日ラオス大使の信任状捧呈”. 外務省 (2021年7月14日). 2025年5月3日閲覧。
  43. ^ 駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2025年4月8日). 2025年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月3日閲覧。

参考文献

  • 坂田亮太郎「特集 メコン 2020年、新「世界の工場」へ」『日経ビジネス』第1690巻、第2013.5.13号、日経BP、26-45頁、2013年。 

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