日本とユーゴスラビアの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 05:28 UTC 版)
「日本とセルビアの関係」の記事における「日本とユーゴスラビアの関係」の解説
1918年にはユーゴスラビア王国が成立する。1930年には大日本除虫菊の創業者の上山英一郎が大阪駐在ユーゴスラビア王国名誉領事に任命された。しかし、第二次世界大戦で日本が枢軸国側で参戦すると関係は悪化し、ユーゴスラビアは日本の外交官を追放した後、対日宣戦布告を行った。その後、ヨシップ・ブロズ・チトーによって1952年に日本とユーゴスラビア連邦人民共和国は国交を回復する。これは東欧諸国の日本との国交回復において最も早いものであった。1959年には両国間で通商条約が締結され、ユーゴスラビアの崩壊まで良好な関係が続いた。
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