ティアオ・カマオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ティアオ・カマオの意味・解説 

ティアオ・カマオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 00:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ティアオ・カマオ
Tiao Khammao
生誕 1911年9月23日
ルアンパバーン郡
国籍 ラオス
職業 官僚外交官
肩書き 駐日ラオス大使
任期 1956年 - 1959年
配偶者 ティアオ・カウラ(妻)
子供 八人(四男四女)
シーサワーンウォン(父)

ティアオ・カマオ (Tiao Khammao、1911年9月23日 - )は、ラオス王族出身の政治家外交官

来歴

1911年9月23日にルアンパバーンにて、ティアオ・カマオは、シーサワーンウォン国王の王子として生まれる。1921年から1931年までのあいだ、ベトナムハノイ[注 1]アルベール・サロー学校英語版で学ぶ。1931年から1939年までの八年間、フランスモンペリエヘ留学し、法科大学院を卒業した[1]

1941年、郡長見習いとして職に就いたのち、王宮総務長官の役となり1948年まで務める。その後1951年までの三年間はルアンパバーン県知事に就任する。1951年から1952年ビエンチャンでの上訴最高裁判所検事1952年から1955年の在パリ高等弁務官を経て、1956年6月、駐日ラオス特命全権大使に任命され、同年10月18日皇居にて信任状を捧呈した[2]。日本での三年間の駐箚後、1959年12月3日、在イギリス大使へ転任した[3]

人物

  • ブンコン英語版国王の王女かつ、スワンナ・プーマラオス王国首相の妹ティアオ・カウラと結婚し、四男四女計八人の子どもを儲けた。

関連項目

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 外務省情報文化局第一課『外務省公表資料集, 第 1 巻』外務省、1018 1956。
  • 内閣府『東南アジア要覧』内閣官房内閣調査室、1959年。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ティアオ・カマオ」の関連用語

ティアオ・カマオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ティアオ・カマオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのティアオ・カマオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS