中ソ紛争とは? わかりやすく解説

中ソ紛争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 01:48 UTC 版)

1929年中ソ紛争(ちゅうそふんそう、中国語: 中東路事件ロシア語: Конфликт на Китайско-Восточной железной дороге(中国東方鉄道紛争)、あるいは、Дальневосточный конфликт(極東紛争))は、中東鉄道を巡りソビエト連邦中華民国の間で起こった軍事衝突である。中東路事件[3]奉ソ戦争とも呼ばれる。北伐を終えて統一された中国にとって外国との初めての交戦であった[3]。紛争の発端は、中ソの共同管理下に置かれていた中東鉄道の利権を、中国が実力で回収しようとしたことにある。ソ連は自衛を理由に軍を満洲国境地帯に送り込み、張学良軍を粉砕し全ての権益を回復した。その後原状復帰を内容とする停戦協定が結ばれてソ連軍は撤収したが、中国側は協定の無効を主張して再交渉を要求し続けた。


注釈

  1. ^ スティムソンは早くから中東鉄道の利権に関心を寄せており、7月25日には中東鉄道を米英仏伊日独による合同委員会の管理下に移させる提案を行っていた。英仏はこの提案に同調していた[39]

出典

  1. ^ Bisher (2005), p. 298.
  2. ^ Kotkin (2017), p. 30.
  3. ^ a b c サンケイ新聞(1976年)、128頁。
  4. ^ 原暉之「シベリア・極東ロシアにおける十月革命」『スラヴ研究』第24巻、北海道大学スラブ研究センター、1979年、75-125頁、ISSN 05626579NAID 110001240325 p=107 より
  5. ^ 斎藤良衛『最近支那國際關係』第112輯、國際聯盟協會〈國際聯盟協會叢書〉、1931年。 NCID BN11569302NDLJP:1442760https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000748131-00 
  6. ^ スラヴィンスキー(2002年)、93-99頁。
  7. ^ a b スラヴィンスキー(2002年)、154-157頁。
  8. ^ 東支鉄道を中心とする露支勢力の消長 下巻 P.1115~1149 南滿洲鐵道株式會社哈爾濱事務所運輸課 1928年5月
  9. ^ スラヴィンスキー(2002年)、158-161頁。
  10. ^ スラヴィンスキー(2002年)、184-185頁。
  11. ^ ジョン・マクマリー他 『平和はいかに失われたか―大戦前の米中日関係もう一つの選択肢』 原書房、1997年。
  12. ^ a b スラヴィンスキー(2002年)、186頁。
  13. ^ サンケイ新聞(1976年)、128-129頁。
  14. ^ サンケイ新聞(1976年)、129-130頁。
  15. ^ スラヴィンスキー(2002年)、187-189頁。
  16. ^ a b サンケイ新聞(1976年)、131頁。
  17. ^ サンケイ新聞(1976年)、131-132頁。
  18. ^ サンケイ新聞(1976年)、132頁。
  19. ^ サンケイ新聞(1976年)、132-133頁。
  20. ^ サンケイ新聞(1976年)、134頁。
  21. ^ a b サンケイ新聞(1976年)、135頁。
  22. ^ スラヴィンスキー(2002年)、196-198頁。
  23. ^ スラヴィンスキー(2002年)、200-204頁。
  24. ^ スラヴィンスキー(2002年)、203頁。
  25. ^ a b スラヴィンスキー(2002年)、206-207頁。
  26. ^ a b c サンケイ新聞(1976年)、135-136頁。
  27. ^ 軍令部「北満国境に於ける蘇支両軍の対抗」『海軍省公文備考 T 事件 巻6』 アジア歴史資料センター(JACAR)、Ref.C04016969000
  28. ^ a b c d 児島襄 『満州帝国』(1巻) 文藝春秋〈文春文庫〉、1983年、43-44頁。
  29. ^ 中山(2007年)、41、62-63頁。
  30. ^ スラヴィンスキー(2002年)、200頁。
  31. ^ スラヴィンスキー(2002年)、204頁。
  32. ^ a b c d スラヴィンスキー(2002年)、205頁。
  33. ^ a b c 海軍省・八木総領事「支那事件 外務省発着(12)」『海軍省公文備考 T 事件 巻6』 JACAR、Ref.C04016968300
  34. ^ a b c サンケイ新聞(1976年)、136頁。
  35. ^ スラヴィンスキー(2002年)、205-206頁。
  36. ^ 中山(2007年)、72、311頁。
  37. ^ a b サンケイ新聞(1976年)、137頁。
  38. ^ K・カール・カワカミ(著)、福井雄三(訳) 『シナ大陸の真相―1931-1938』 展転社、2001年、73頁。
  39. ^ スラヴィンスキー(2002年)、212-214頁。
  40. ^ サンケイ新聞(1976年)、136-137頁。
  41. ^ サンケイ新聞(1976年)、137-138頁。
  42. ^ a b スラヴィンスキー(2002年)、215頁。
  43. ^ サンケイ新聞(1976年)、138頁。



中ソ紛争

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中華民国の歴史」の記事における「中ソ紛争」の解説

1929年7月にはソビエト連邦満州侵攻し中東路事件)、中華民国軍撃破され、12月22日ハバロフスク議定書結ばれてソビエト連邦影響力強まった中華民国政府ソビエト連邦交戦に力を注いでいるうちに中国共産党中国各地盛んに活動行った

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