ダライ・ノールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ダライ・ノールの意味・解説 

ダライ・ノール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 01:01 UTC 版)

ダライ・ノール
南岸より臨むダライ・ノール
ダライ・ノール
2000年撮影
場所 中華人民共和国内モンゴル自治区赤峰市ヘシグテン旗
座標 北緯43度16分53秒 東経116度37分52秒 / 北緯43.28139度 東経116.63111度 / 43.28139; 116.63111座標: 北緯43度16分53秒 東経116度37分52秒 / 北緯43.28139度 東経116.63111度 / 43.28139; 116.63111
種類 内流咸水湖
主な流入 耗来河、貢格爾河、亮子河、沙里河
主な流出
中華人民共和国
水面積 237平方キロメートル (92 sq mi)
平均水深 5メートル (16 ft)
最深部 13メートル (43 ft)
水量 1.6立方キロメートル (0.38 cu mi)
水面標高 1,226メートル (4,022 ft)
テンプレートを表示

ダライ・ノール(Dalai Nur)とは、中華人民共和国内モンゴル自治区ヘシグテン旗に位置する湖。

概要

ダライ湖(達里湖)とも表記され、古くは魚児濼答児海子とも記された。長春真人は魚児濼に設置されたジャムチ(駅伝)を利用してチンギス・カンの下まで旅をしたことが知られている。

大元ウルスが成立すると、ダライ・ノール湖畔にコンギラト部の夏営地である、応昌城が建設された。明朝が大元ウルスを攻撃した時、ウハート・ハーンは応昌にまで逃れ、この地で病死している。李文忠率いる明軍は洪武3年(1370年)に応昌を陥落させてマイダリ・バラらを捕虜とした。明朝はこの地に応昌衛を設置したが長続きせず、応昌城は廃墟となった[1]

日本人の鳥居龍蔵はモンゴルの旅行中、ダライ・ノール及び応昌旧城を訪れている[2]

熔岩による堰止湖である。面積は22,833㎡、平均水深は約5m、最も深い地点では13m、貯水量は16億㎥、湖水は貢格爾河を主要な水源とする。この他、周辺地帯にはダライ・ノールを源泉とする湧き水が存在する。

ダライ・ノール一帯は動植物が豊富で、魚類はフナコイ等が生息する。鳥類はマガモサカツラガンカモメハクチョウマナヅルタンチョウ等が生息する。

脚注

  1. ^ 箭内1930,649頁
  2. ^ 箭内1930,650頁

参考文献

  • 箭内亙『蒙古史研究』刀江書院、1930年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ダライ・ノール」の関連用語

ダライ・ノールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ダライ・ノールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのダライ・ノール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS