中ソ対立の狭間と金日成の絶対的権力の確立とは? わかりやすく解説

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中ソ対立の狭間と金日成の絶対的権力の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 09:35 UTC 版)

朝鮮民主主義人民共和国の経済史」の記事における「中ソ対立の狭間と金日成の絶対的権力の確立」の解説

1956年から始まったスターリン批判、そして同年発生したハンガリー動乱は、社会主義圏に大きな動揺もたらすことになったスターリン批判北朝鮮中国のように強い権威を持つ指導者存在する社会主義国警戒呼び、またハンガリー動乱代表されるソ連による介入自立路線目指す北朝鮮中国の反発招いた1950年代後半以降ソ連中国との関係悪化が目立つようになり、1960年代には中ソの対立決定的となった北朝鮮中ソ対立の中、両者間のバランス取った関係維持基本としていたが、どちらかといえば利害一致点が多い中国寄り立場取っていた。 1957年から開始され5カ年計画時期は、千里馬運動強力に押し進められたことが大きな特徴である。朝鮮半島伝説にある、一日千里駆け名馬にちなみ名づけられた千里馬運動は、ソ連スターリン時代スタハーノフ運動毛沢東提唱した大躍進政策同じく思想宣伝活動によって大衆意識高め増産運動動員するという運動であり、「朝鮮社会主義型の国家総動員体制」と評価されている。 千里馬運動は中ソの関係悪化が進む中、北朝鮮対す援助減少して資材資金不足が目立つようになっていたことと、また先述社会主義圏内対立から自主路線強化する必要性迫られたことが開始大きな原因であった当時民族意識高揚し大衆動員比較的容易であり、5カ年計画1年繰り上げて1960年達成されたと発表された。しかし大衆動員による無理な増産運動生産現場のひずみを生み、何よりも北朝鮮では千里馬運動倣った思想宣伝活動によって大衆意欲を高めることに重点を置き、物質的な報酬最小限抑えた状況下で最大限労働力引き出すことを目的とした大衆動員型の運動が、現在に至るまで繰り返し行われ続けられ北朝鮮経済大きな影響与えている。 1959年12月からは、日本からの在日朝鮮人の帰還事業開始された。朝鮮戦争ならびに韓国側脱出した越南者の影響北朝鮮慢性的な労働力不足悩まされており、朝鮮戦争終結後ソ連中国在住していた朝鮮人帰国推進行っていた。1950年代後半在日朝鮮人北朝鮮へ帰国運動高まりの中、北朝鮮韓国対す優位性確立などという目的とともに不足する労働力補充日本からの帰国者が持つ技術注目して技術移転機会として在日朝鮮人受け入れ押し進めた。やがて在日朝鮮人帰国する際に持参する物資や、北朝鮮で生活に苦し帰国に対して日本親族から送られる現金物資、そして技術は、経済難に悩む北朝鮮当局にとって大きな支え一つとなった1960年2月金日成江西郡青山里で現地指導行いその際青山里方式呼ばれる北朝鮮独自の農業管理方式金日成によって提唱された。これは「農民に対して物質的な刺激よりも、政治・思想的な教育通じて増産を図る」ことを目的とした経営管理方式であった。そして翌1961年12月には、大安電機工場現地指導行った金日成は、工業部門経営管理方針である大安の事業体系指示した。こちらも工場内の朝鮮労働党組織企業内の経営管理体制基本となり、政治・思想的な教育通じて増産を図る経営管理方針であった1961年からは第一次7カ年計画開始された。しかし1960年代入り激化した中ソ対立計画遂行悪影響及ぼした中ソ対立激化の中、北朝鮮当初両国間の等距離外交図り、中ソ両国から援助引き出そうとしていたが、やがて中国寄り立場を示すようになり、その結果としてソ連からの援助激減する。その一方中国大躍進政策失敗後遺症から経済混乱続きソ連からの援助減少穴を埋めるには至らなかった。 また1960年代キューバ危機発生ベトナム戦争など、東西陣営間は激しく対立しており、韓国対峙する北朝鮮では軍事的緊張高まっていた。更に韓国1961年軍事クーデターによる政権成立1965年日韓基本条約締結は、北朝鮮警戒心高めることに繋がった緊張する国際情勢北朝鮮軍備増強拍車をかけ、経済大きな負担を強いることになった1966年国防増強必要性高まったことを理由として、7カ年計画3年延長決定された。同年中国では文化大革命開始され紅衛兵金日成のことを批判したことがきっかけとなり、中朝関係悪化したソ連続いて中国とも関係が悪化するという苦境追い込まれ北朝鮮は、1966年から1967年にかけて路線対立者を排除し金日成絶対的権力確立したそのような中、金日成長男である金正日台頭始まった。なお北朝鮮ソ連中国との関係が正常化するのは1970年代入ってからのことになる。

※この「中ソ対立の狭間と金日成の絶対的権力の確立」の解説は、「朝鮮民主主義人民共和国の経済史」の解説の一部です。
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