中国の反発
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1964年(昭和39年)、日本社会党の佐々木更三委員長が中華人民共和国(中国)の毛沢東共産党主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではありませんか。皆さん、皇軍(日本軍)の力無しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」と半ば皮肉まじりに発言している。1979年に合祀されていたことが報道された後も鈴木善幸が首相在任中も含め8月15日等計8回参拝している(ただし三木武夫の「私的参拝原則」発言以降、首相その他の国務大臣の参拝は、私的参拝もしくは「私人」か「公人」かを明らかにしない参拝であった)が抗議は受けていない。だが、1985年(昭和60年)に中曽根康弘が「首相として公式参拝」を表明し実施して以降、中国と大韓民国(韓国)から抗議を受ける事があり(靖国神社問題をめぐる日本国内の一部報道が影響しているとの指摘もある)、その度に日本でも問題として取り上げられる。政府間ではA級戦犯が取り上げられているが、中国の報道[誰?]ではBC級戦犯についても問題とされる場合もある。 中国政府(中国共産党)の抗議として、もっぱら首相以外の靖国神社参拝への抗議はしていなかった。しかし、2005年(平成17年)2月22日の春季例大祭に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」数十名が集団参拝したことに対して、中国政府の秦剛副報道局長が中国外交部を代表して「強烈な不満」を表明した。その直後、王毅駐日大使が自民党の外交調査会での講演で、かつて政府の顔である首相、官房長官、外務大臣の3人は在任中に参拝しないという紳士協定があったとしている(裏を返せば「それ以外の人間の参拝については言及しない」ということとも解釈できる[独自研究?])。このことから、秦剛副報道局長の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などの参拝についての言及については矛盾しており、主張が二転三転しているとの指摘[誰?]もある。 戦没者の靖国神社合祀に関連して、1956年(昭和31年)遺族援護行政を所管する厚生省引揚援護局から、都道府県に対して靖国神社合祀の事務に対する協力について通知が行われた。後にこの通知は、1971年(昭和46年)に「合祀事務」や「祭神名票」など不適切な用語が用いられていたとして廃止された。その後、遺族援護事務としての一般的調査回答業務とした形で1986年(昭和61年)まで続けられていた。なお、1985年(昭和60年)には政教分離原則に反する不適切な通知だった、と当時の厚生大臣が国会で答弁している。 この引揚援護局からの通知に基づいた祭神名票(戦没者身分等調査票)は、靖国神社側が合祀を判断するため、戦没者あるいは一定の合祀資格条件に該当する者かどうかなど、照会があって調査作成されていたものである。合祀予定者の調査を靖国神社ではなく行政府が行っていたという経緯から、「合祀は日本政府の指示によるものではないか」という意見[誰?]もある。しかし、政府の出した名簿が全て合祀された訳ではなく、2002年(平成14年)7月の国会答弁では「国として靖国神社の行う合祀には関わりを持っていない」事が確認されている。 靖国神社の照会により引揚援護局が作成した祭神名票には、改正された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」および「恩給法改正」の支給根拠である「戦犯は国内法で裁かれた者ではない」という解釈から、東京裁判における戦犯も除外なく記載されている。靖国神社では1959年(昭和34年)にBC級戦犯を合祀した。A級戦犯については合祀のための照会をしていなかった。だが、1965年(昭和40年)に厚生省に戦犯を含む資料の送付を依頼。翌1966年(昭和41年)厚生省引揚援護局調査課長が「靖国神社未合祀戦争裁判関係死没者に関する祭神名票について」の通知に基づき祭神名票を送付。1970年(昭和45年)に靖国神社の崇敬者総代会でA級戦犯の合祀が決定された。ただし、当時の宮司預かりとなり、合祀はされていなかった。1978年(昭和53年)になって新宮司が就任。A級戦犯の受刑者を「昭和殉難者」と称して合祀した。また、靖国神社は、東京裁判の有効性や侵略の事実を否定するなど、「A級戦犯は戦争犯罪者ではない」として名誉回復の方針を見解として打ち出している。A級戦犯合祀問題の背景には、靖国神社などによる「A級戦犯は戦勝国による犠牲者」とする意見と、侵略戦争を認めた政府見解や、国民への多大な犠牲などから「侵略・亡国戦争の責任者である」と一般の犠牲者である軍人・軍属などと一緒に祀り、顕彰することを問題視する意見の対立があると思われる。1963年(昭和38年)以降、8月15日に開かれている政府主催の全国戦没者追悼式の戦没者の対象にA級戦犯も含まれているが、問題視されていない。全国戦没者追悼式は追悼であり、靖国神社は顕彰しているという理由からである。また、自決・戦死による祭神の中にも戦争責任者とみなされる人物は存在するが(日中戦争開始時の陸相で太平洋戦争開戦当時の参謀総長である杉山元、満洲事変当時の関東軍司令官である本庄繁、支那事変開始時の海軍次官で太平洋戦争開戦当時の連合艦隊司令長官山本五十六など)、現在のところ問題とはされていない。
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