「関与」政策から「抑止」政策へ
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「米中関係」の記事における「「関与」政策から「抑止」政策へ」の解説
2011年1月14日にはアメリカ紙のワシントン・ポストにおいてアメリカ政界の重鎮であるヘンリー・キッシンジャー元国務長官が「米中は冷戦を避けなければならない」と述べ、米中が冷戦状態に入りつつあると警鐘を鳴らす記事が掲載された。キッシンジャー元国務長官は米中が冷戦状態に入った場合、「核拡散や環境、エネルギー、気候変動など、地球規模で解決が必要な問題について、国際的に(米中の)どちらに付くかの選択を迫ることになり、各地で摩擦が発生する」と述べた。 2011年11月にアメリカのオバマ大統領は、訪問先のオーストラリア議会での演説でアメリカの世界戦略を「対中国抑止」へと転換することを宣言した。膨張する中国に対し、アメリカが従来の「関与」政策から「抑止」に転換したことを内外に鮮明にしたものであり、これにより、リチャード・ニクソン大統領の訪中以来、約40年ぶりに米中関係は再び対立の時代に入ったことを意味する歴史的演説となった。 2011年11月9日、アメリカ国防総省は「エアシー・バトル」(空・海戦闘)と呼ばれる特別部局の創設、中国の軍拡に対する新たな対中戦略の構築に乗り出していることが明らかとなった。この構想には中国以外の国は対象に入っていないとアメリカ側は事実上認めており、米政府高官は「この新戦略はアメリカの対中軍事態勢を東西冷戦スタイルへと変える重大な転換点となる」と述べた。 2011年11月12日から13日にかけてハワイで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議で、アメリカは日本にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加を要請、日本は協議に入ると表明した。TPPについては、これを「中国包囲網」とも解釈する論者も多く、中国も警戒した。中国国際関係学院の楊伯江教授は、日本の交渉参加は「アメリカ重視の対外戦略のシンボル」と発言している。なお中国外務省は、貿易自由化による発展を促す経済一体化に対し、中国はオープンであるとのコメントを表向きで出した。 APEC首脳会議の3日後の2011年11月16日、オバマ大統領はオーストラリア北部へのアメリカ海兵隊駐留計画を発表し、2012年からアメリカ軍がダーウィンなどに半年交代で駐留、オーストラリア軍と共同訓練や演習を行い最終的に2500人の駐留を目指すとし、海上交通路(シーレーン)確保をにらんだアメリカ軍配備を進め、中国への牽制を行った。オーストラリアはアメリカが東アジア有事として想定していた台湾海峡や朝鮮半島などから距離があり、これまで拠点としての重要度は低かったが、中国から直接の攻撃を受けにくいこと、また南シナ海、インド洋へのアクセスにおいて戦略的な位置付けが高まったとされる。これに対して中国は中国共産党機関紙・人民日報系の英字紙グローバル・タイムズを通じて「オーストラリアは中国をバカにしてはならない。中国の安全保障を弱体化させているのに、それと切り離して経済協力を進めることはできない。越えてはならない一線がある」と批判した。また、インドネシアのマルティ・ナタレガワ外相は、アメリカ軍のオーストラリア駐屯について、中国の反発を生むとして危険性を指摘した。 また、アメリカ議会諮問機関「米中経済安全保障見直し委員会」年次報告書は同11月16日、中国が東アジアにおける有事の際、奇襲攻撃や先制攻撃でアメリカ軍の戦力を低下させ、日本周辺を含む東シナ海までの海洋権益を支配する戦略を中国軍は持っていると指摘した。また中国軍は、指揮系統をコンピューターに依存するアメリカ軍の弱点を突く形でサイバー攻撃を仕掛ける作戦や、南シナ海や東シナ海での紛争では対艦弾道ミサイルや巡航ミサイルによって、防衛戦線の規準として、九州―沖縄―台湾―フィリピンを結ぶ第一列島線を設定し、かつアメリカ軍等を含む他国の介入を阻止する作戦があるとも指摘した。第一列島線はもともと1982年に鄧小平の意向を受けて、中国人民解放軍海軍司令官・劉華清(1989年から1997年まで中国共産党中央軍事委員会副主席)が打ち出した構想で、2010年までに第一列島線内部(近海)の制海権確保をし、2020年までに第二列島線内部の制海権確保をし、2040年までに航空母艦建造によって、アメリカ海軍による太平洋、インド洋の独占的支配を阻止し、アメリカ海軍と対等な海軍を持つというものであった。 2011年12月25日の日中首脳会談では、中国側が中国包囲網を切り崩すために懐柔するとみられ、実際、日中で高級事務レベル海洋協議の開設と海上捜索・救助協定(SAR協定)の締結で合意した。なお、12月17日(発表は19日)には北朝鮮の金正日書記の死去をうけて、周辺諸国は緊張していた。 2012年1月5日、アメリカのオバマ大統領はアジア太平洋地域での軍事的なプレゼンスを強化する内容の新国防戦略「アメリカの世界的リーダーシップの維持と21世紀の国防の優先事項」を発表した。新戦略文書では中国とイランを名指し、サイバー攻撃やミサイル開発などの非対称的手段でアメリカに対抗していると指摘、中国について軍事力増強の意図の透明化を求めたうえで、オバマ大統領は演説で「第二次大戦やベトナム戦争の後のように、軍を将来への準備もない状態にする失敗は許されない。アメリカ軍を機動的かつ柔軟に、あらゆる有事に対応できるようにする」と述べ、アメリカが安全保障を主導する決意を示した。これは、第二次世界大戦以来の「二正面作戦」を放棄してアジア太平洋地域での戦略的関与を最優先するものであり、「中国の膨張を抑止する」というアメリカの強い国家意志の現れであった。これに対し、中国政府系メディアは警戒感を示したが、これは米中がアジア太平洋地域で互いに覇権を求めない1972年の米中共同声明(上海コミュニケ)の実質的廃棄を意味し、米中冷戦の時代の幕開けを意味した。一方で環太平洋合同演習(リムパック)では中国の参加を認め、気候変動問題ではオバマ大統領はパリ協定を中国・杭州で同時批准 するなど米中の協調も続いた。
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