「間歩」の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:16 UTC 版)
2015年現在、銀山採掘のために掘られた「間歩」(まぶ)と呼ばれる坑道や水抜き坑が700余り確認されている。主な坑道としては、釜屋間歩、龍源寺間歩、大久保間歩、永久坑道などが挙げられる。大久保間歩は、江戸時代から明治時代にかけて開発され、大久保長安が槍を持って馬に乗ったまま入れたとされる。大久保間歩の下方に位置する金生坑は、明治時代に作られた水抜き坑道であり、大久保間歩内部より金生坑に通じる階段を見ることが出来る。大久保間歩は、坑道周囲に住む住民の通路としても使用され山を抜けて反対側の学校に通学する子供たちの通学路ともなった。大久保間歩は江戸時代は手掘りであったが、後にドリルによって坑道が拡大され、木製軌道が敷かれてトロッコを用いて鉱石の搬出が行われた。釜屋間歩は大久保間歩の更に上側に位置する坑道で、安原伝兵衛によって開発されたとされる。周囲には現場で精錬を行った遺跡も発掘されている。これらの坑道は内部で互いに接続しており、最深部は永久坑道の標高400mのところから200m掘った坑道が確認されている。山頂部には露頭を掘った跡や集落の跡が残っており、当時高価だった海外製の陶器の破片などが発掘されている。坑道から搬出された鉱石のうち、不要な石(ズリ)は、周辺の谷を埋め平地を作るのに使用された。電灯が導入されるまでは、サザエの殻に、菜種油を満たした灯り、「らとう」が長く使用されていた。このサザエの殻を使用した灯りは、大田市のマスコットキャラクター、らとちゃんのデザインにも用いられている。
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