「開目抄」とは? わかりやすく解説

「開目抄」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:32 UTC 版)

日蓮」の記事における「「開目抄」」の解説

文永8年1271年10月10日に依智を出発した日蓮護送一行は、10月28日佐渡到着し11月1日配所である塚原三昧堂入った日蓮には日興など数人弟子随行していた。塚原三昧堂は、名前の通り墓(塚)のある野原建てられ粗末な小堂で、冬は吹き込む建物であり、与えられ食糧乏しく極めて厳しい環境だった。 配所到着した日蓮は、直ちに「開目抄」の執筆着手翌年2月完成させた。執筆の背景には法難によって多く門下信心疑問持ち退転ていった状況があった。門下疑問とは、妙法蓮華経法華経)の行者には諸天加護があるはずであるのに何故日蓮とその門下加護がなく迫害を受けるのか、というものであった日蓮は、今後弘教のためにもこの疑問答える必要があった。 日蓮は、この疑問答えるために、まず末法衆生帰依すべき主師親の当体儒教中国古代思想)、外道インド古代思想)、内道仏教)の検証通して明らかにようとする仏教それ以外宗教検討の後、さらに仏教内部の教について大乗教小乗教、大乗中でも妙法蓮華経法華経)とそれ以外の経、妙法蓮華経法華経)の中でも前半迹門)と後半本門)、本門中でも上本門と文底本門との勝劣論じ結論として妙法蓮華経法華経)の文底本門の教である南無妙法蓮華経末法弘通すべき正法であることを明らかにしていく。日蓮教学において、それぞれの教の比較は、①内外相対、②大小相対、③権実相対、④本迹相対、⑤種脱相対の「五重の相対」として議論される。 「開目抄」では、教の検証通して諸宗が教の浅深勝劣知らず謗法犯しており、日蓮こそが教の勝劣正しく知る真の行者、すなわち末法における主師親の主体であることを明らかにしていく。「開目抄」に示された「我日本とならん、我日本眼目とならん、我日本大船とならん等とちかいし願いやぶるべからず」との三大誓願は主()・師(眼目)・親(大船)の表明解される。 その記述通して先の疑問対す答え示される。すなわち行者諸天善神加護がない理由として、①経文歴史上先人の例に照らして行者が難を受けるのはむしろ当然である、②行者が難に遭うのは行者自身謗法の罪があるからである、③迫害者に順次生に地獄堕ちる重罪がある場合には現世に現罰は現れぬ④行者諸天加護がないのは諸天善神謗法の国を去っているためである、という4点示してその回答としている。 「開目抄」が完成した文永9年1272年2月鎌倉京都幕府内部戦闘生じた二月騒動)。幕府中枢が、北条一門名越時章・教時兄弟北条時宗庶兄六波羅探題南方の職にあった北条時輔謀反罪を着せ誅殺した粛清事件である。日蓮「立正安国論」予言した自界叛逆難が現実のものとなった

※この「「開目抄」」の解説は、「日蓮」の解説の一部です。
「「開目抄」」を含む「日蓮」の記事については、「日蓮」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「開目抄」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「開目抄」」の関連用語

「開目抄」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「開目抄」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日蓮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS