「立正安国論」とは? わかりやすく解説

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「立正安国論」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:32 UTC 版)

日蓮」の記事における「「立正安国論」」の解説

日蓮建長5年1253年)、鎌倉移り名越松葉ヶ谷草庵構えて弘教活動開始したこの年11月、後の六老僧一人である弁阿日昭日蓮門下となったとされる鎌倉進出時期については、建長6年または同8年とする説もある。 鎌倉進出当時日蓮辻説法によって布教したと伝承されるが、日蓮遺文には辻説法行った事実記述はない。この時期に、僧侶として日昭日朗三位房・大進阿闍梨在家信徒としては富木常忍四条頼基金吾)・池上宗仲工藤吉隆らが日蓮門下になった伝えられる正嘉元年1257年8月鎌倉大地震があり、ほとんどの民家倒壊するなど、大きな被害出た日蓮多く死者出した自然災害重視し災害原因仏法照らして究明し災難止める方途探ろうとした。伝承によれば正嘉2年1258年)、日蓮駿河国富士郡岩本にある天台宗寺院実相寺登り、同寺に所蔵されていた一切経閲覧した。この時期日蓮仏教大綱再確認した成果は、「一代聖教大意」「一念三千理事」「十如是事」「一念三千法門」「唱法題目抄」「守護国家論」「災難対治抄」などの著作にまとめられた。 その上で日蓮は、文応元年1260年7月16日、「立正安国論」を時の最高権実力者にして鎌倉幕府5代執権北条時頼提出して国主諫暁行った。「立正安国論」によれば大規模な災害飢饉生じている原因は、法然浄土宗開祖)の教え流行し為政者含めて人々正法違背して悪法帰依しているところにある。その故に国土を守る諸天善神が国を去ってその代わり悪鬼が国に入っているために災難生ずる(これを「神天上の法門」という)。そこで日蓮は、災難止めるためには為政者悪法帰依停止して正法帰依することが必要であると主張する。さらに日蓮は、このまま悪法への帰依続けたならば、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)が生ずると予言し警告した。 「立正安国論」で日蓮は、とりわけ法然専修念仏批判対象取り上げる。それは、貴族階級から民衆レベルまで広がりつつあった専修念仏抑止することが自身仏法弘通にとって不可欠判断されたためである。この時期作成された「守護国家論」「念仏追放宣旨事」などでも徹底した念仏批判展開されている。

※この「「立正安国論」」の解説は、「日蓮」の解説の一部です。
「「立正安国論」」を含む「日蓮」の記事については、「日蓮」の概要を参照ください。

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