日昭
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日昭(にっしょう、承久3年(1221年)- 元亨3年3月26日(1323年5月1日)[1][2])は、鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。俗姓は印東氏で、池上宗仲、日朗とは親戚関係にある。日昭門流・浜門流の祖。日蓮六老僧の一人。字は大成弁。弁阿闍梨とも称される。
下総国海上郡印東領能手(現・千葉県匝瑳市)の領主・印東祐照(または祐昭)の子[3]。母は工藤祐経の娘。姉は池上康光の妻、妹は平賀有国の妻(日朗の母)[3]。生年については嘉禎2年(1236年)とする説もある[4]。
15歳頃に出家して成弁と称し、翌年比叡山に登る。建長5年(1253年)より日蓮に師事し、日昭と改めた。弘安5年(1282年)の日蓮入滅時には葬儀を取り仕切り、身延山に遺骨を納めた。徳治元年(1306年)に名瀬の妙法寺、徳治2年(1307年)には越後の妙法寺を建立した[3]。
晩年比叡山戒壇と関係を持っていたことから、この派にはその影響が残された。

現在の日昭門流(濱門)の本山は妙法華寺と村田妙法寺。関連寺院として南之坊などがある。
脚注
- ^ “日昭(にっしょう)とは”. コトバンク. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “妙顕寺-妙顕寺とは-”. www.sano-myoukenji.net. 2023年7月17日閲覧。
- ^ a b c 花ケ前盛明『中世越後の歴史 : 武将と古城をさぐる』新人物往来社、1986年、p.41。
- ^ 『類聚伝記大日本史 第8巻』雄山閣出版、1980年、p.323。
日昭(1236年~1323年)
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「印東氏」の記事における「日昭(1236年~1323年)」の解説
日蓮直弟子の六老僧筆頭。昭門流(浜門流)の祖。はじめ成弁と号し、弁阿闍梨、不軽院と称された。下総国印東庄能戸の領主・印東治郎左衛門尉祐昭の次男。母は工藤左衛門尉祐経娘(妙一尼公)。のち摂政・近衛兼経の猶子となり、法印に任じられた。兄・三郎左衛門尉祐信が印東家を継ぎ、次男の日昭が日蓮の直弟子となった。姉は池上左衛門大夫康光に嫁ぎ、池上宗長・宗仲の母となる。妹は下総国葛飾郡平賀村の平賀二郎有国に嫁ぎ、日朗を生んだ。嘉禎2年(1236年)、下総国海上郡に生まれたとされるが、確実な生年は不明である。父の印東治郎左衛門尉祐昭は印東次郎左衛門尉の息と伝わる。
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