僧侶になった印東氏とは? わかりやすく解説

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僧侶になった印東氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:18 UTC 版)

印東氏」の記事における「僧侶になった印東氏」の解説

日昭1236年1323年日蓮直弟子六老僧筆頭。昭門流(浜門流)の祖。はじめ成弁と号し弁阿、不軽院と称された。下総国印東庄能戸の領主・印東治郎左衛門尉祐昭の次男。母は工藤左衛門尉祐経娘(妙一尼公)。のち摂政近衛兼経猶子となり、法印任じられた。兄・三郎左衛門尉祐信が印東家継ぎ次男日昭日蓮直弟子となった。姉は池上左衛門大夫康光に嫁ぎ池上宗長・宗仲の母となる。妹は下総国葛飾郡平賀村平賀二郎有国嫁ぎ日朗生んだ嘉禎2年1236年)、下総国海上郡生まれたとされるが、確実な生年不明である。父の印東治郎左衛門尉祐昭は印東次郎左衛門尉の息と伝わる。 幼くして成弁と号して比叡山登り、尊海阿闍梨を師と仰いで修行重ねた才能あふれる成弁を尊海から聞いた近衛兼経は彼を猶子迎えたという。日昭についての伝承詳しく伝わっていないものの、日昭日蓮亡くなるときには上首定められるほど信頼の厚い人物であった鎌倉においては幕府弾圧屈せず弘安8年1258年4月には幕府陳情提出するなど日朗とともに活躍教団基礎固めることに尽力したまた、御家人工藤祐経屋敷跡法華堂建立現在の材木座実相寺である。元亨3年1323年3月26日入滅さじき女房不詳鎌倉の人で一説には印東三左衛門祐信の妻といわれる。また日昭縁故の人というが、明らかではない。「さじき」は「棧敷と書き鎌倉地名である。

※この「僧侶になった印東氏」の解説は、「印東氏」の解説の一部です。
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