日通の考証がみられる文献
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「日進 (身延3世)」の記事における「日通の考証がみられる文献」の解説
日進の出生を下総の曽谷氏とする記載は「御書略注」と「玉沢手鑑草稿」にみられ、いずれも日通の考証である。 「御書略注」は嘉永元年(1848年)玉沢妙法華寺41世日桓の下で修行した境達院日順が、日通の「祖書証義論」を抜粋して和訳した日蓮の伝記である。日蓮の遺文を年代順に抽出編集し、日蓮の家系の考証から遊学、立教開宗から入滅までの事跡に加え、日蓮滅後の教団初期の動向についても詳しく著されている。 また「玉沢手鑑草稿」は日通の晩年の著述で、近世初頭の日昭門流、身延門流の幕府への接近の背景を知る好資料である。玉沢妙法華寺の日昭以下歴代貫主の略伝、日通に至るまでの玉沢諸堂の沿革、宝物等で構成されている。現在、妙法華寺塔頭の覚林院24世日鎮が文政5年(1822年)に書き写した写本が伝えられている。
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