権実相対 (ごんじつそうたい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:48 UTC 版)
「五重相対」の記事における「権実相対 (ごんじつそうたい)」の解説
釈迦一代50年の諸教には「権教(ごんきょう)」と「実教(じっきょう)」があり、これらを比較相対し、真実の教説を選び出すのが権実相対である。 実とは、実教(じつきょう)のこと。 権とは、権教(ごんきょう)のこと。権は「仮の」を意味し、仮の教説のこと。 権教とは、仮の教説の意で、衆生の機根に応じて説いた方便の教説を言い、実教とは、仏の悟りをそのまま説いた真実の教説を言う。 釈迦は、30歳から42年間にわたる説法の後、72歳の時に説いた「無量義経」において、 「四十余年には未だ真実を顕さず」(開結23) と明かし、その後に説いた法華経「方便品第二」に、 「要(かならず)当(まさ)に真実を説きたもうべし」(開結93) と説いていることからも解るように、爾前の40経教は方便権教であり、法華経のみが真実の教説であることは明らかである。 この法華経においては、一切衆生を成仏せしめる『一念三千』の法門が顕されることによって、これまで成仏できないとされてきた二乗(声聞・縁覚)の作仏(仏になること)が許され、また「本仏」と釈迦の関係である本地である久遠実成が明かした。一念三千の考え方についても、法華経以前の諸経では、十界は相互に隔てられた全く別々の世界として固定化されてとらえられていた。しかし、法華経では、十界とは一つの生命に具わる十種の境涯であることを示し、十界のいかなる衆生も仏界を顕わし成仏する可能性をもっているという変革の可能性を説いている。 日蓮は、 「但し仏教に入って五十余年の経々、八万法蔵を勘へたるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕経・密教・軟語・麁語、実語・妄語、正見・邪見等の種々別 あり。但し法華経計り教主釈尊の正言なり。三世十方の諸仏の真言なり」(開目抄 新編526頁) と述べており、釈迦一代50年の説法のうち、法華経こそが真実の教説であり、それ以外の諸経は、法華経に至までに説いた権:仮りの教説としている。
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