権威主義政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:53 UTC 版)
権威主義政権時代(1948年〜1988年)においては平和的政権交代が保障されず、政権を掌握した権力者が政権維持の手段として与党を創党し、権力者が失脚すると与党も解党されるパターンが繰り返されてきた。それに対し野党勢力は、解放直後に保守系民族主義者らが結成した韓国民主党(韓民党)の潮流を、一定の範囲内で受け継ぐ勢力が第一野党の立場を維持し続けた。その結果、政党体制は政府党 と保守野党が政治体制の民主化を巡って対立する二大政党制の構図となったが、行政機構と一体化した政府党が常に優勢で、野党は劣勢に立たされることが多かった(一党優位型のヘゲモニー政党制)。 表1「権威主義政權時代の与党沿革」政党名年概要自由党 1952年〜1960年 第一共和国(李承晩政権)与党 民主共和党 1963年〜1980年 第三共和国・第四共和国(朴正煕政権)与党 民主正義党 1981年〜1990年 第五共和国(全斗煥政権)与党 表2「権威主義政權時代の第1野党沿革」政党名年概要韓国民主党 1945年〜1950年 保守系民族主義者によって結成。 民主国民党 1950年〜1955年 韓民党から党名を改称。 民主党 1955年〜1961年 民国党と自由党の一部議員が合流して結成。第二共和国時代は与党 民政党 1963年〜1965年 民主党旧派が主体となって結成。 民衆党 1965年〜1967年 民政党と民主党が統合 新民党 1967年〜1980年 民衆党と新韓党が統合 民主韓国党 1981年〜1988年 旧新民党内の対政府穏健派議員が結成。 新韓民主党 1985年〜1988年 政治活動を解禁された旧新民党政治家が結成。 統一民主党 1987年〜1990年 新民党を離党した上道洞・東橋洞系 の政治家が結成。
※この「権威主義政権時代」の解説は、「大韓民国の政党」の解説の一部です。
「権威主義政権時代」を含む「大韓民国の政党」の記事については、「大韓民国の政党」の概要を参照ください。
- 権威主義政権時代のページへのリンク