5・3仁川事態
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5・3仁川事態(5・3いんちょんじたい)は1986年5月3日、新韓民主党(新民党)が推進していた「直選制改憲1000万署名運動」の仁川・京畿道支部結成大会が、運動圏の過激デモと警察の暴力的鎮圧で中止された事態(事件)である。この事件で第五共和国時代の韓国において民主化運動を進めてきた制度圏[1]野党と運動圏[1]の対立が露呈する結果となった。
- ^ a b いずれも権威主義政権時代の韓国における政治用語で、「制度圏」は法制度の枠内で合法的に活動する野党勢力を指し、「運動圏」は制度圏の枠外(在野)で活動する民主化勢力内部でも学生や学生運動出身者を中心とした急進勢力を指している。金栄鎬『現代韓国の社会運動』社会評論社
- ^ 仁川사태 民民鬪 民統聯이 주도(仁川事態 民民闘 民統連が主導) (PDF) 東亜日報1986年5月19日付1面
- ^ 仁川시위 百29명 拘束令狀(仁川デモ 129名に拘束令状) (PDF) 東亜日報1986年5月5日付一面。
- ^ 1987年4月13日、全斗煥大統領が年内の憲法改正論議中止と、現行の選挙人団選挙による大統領選挙を行う旨を表明した措置である。護憲措置に反発した金大中と金泳三は新たに統一民主党を結成し、運動圏を含めた在野勢力との連携を模索するようになった。
- 1 5・3仁川事態とは
- 2 5・3仁川事態の概要
- 3 参考文献
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