三党体制から両党制へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)
「韓国における政党史」の記事における「三党体制から両党制へ」の解説
民主党発足後の2000年4月に行われた国会議員選挙は、与党の新千年民主党と野党のハンナラ党が第1党を巡って争う構図となったが、ハンナラ党が民主党に18議席の差をつけて133議席を確保して第1党となった。一方、民主党は改選前の議席を大きく伸ばしたものの115議席(選挙後、無所属当選者4名が入党して第16代国会開院時には119名となった)で第2党に留まった。一方、選挙前に民主党との連立を解消した自民連は、地盤である忠清道で民主党やハンナラ党に支持を奪われ議席を大幅に減らし、院内交渉団体の結成に最低限必要な20議席すら下回る17議席に留まり惨敗した。結果、ハンナラ党と民主党で全体議席の9割を占める結果となり、「3金」が主導してきた三党体制からハンナラ党と民主党による両党制へと変化した。地域別で見た場合、ハンナラ党は嶺南地域65議席中64議席(残り1議席は無所属の鄭夢準)を、民主党は湖南地域29議席中25議席(残り4議席は民主党系無所属)を確保し、地域対立に基づいた政治構造に変化は見られなかった。 一方でこの選挙では、全国区候補の内30%以上を女性に割り当てる制度が導入されたことで女性当選者が前回選挙よりも増加した他、386世代に代表される運動圏(権威主義政権時代の韓国における政治用語で、法制度の枠内、所謂「制度圏」で活動する野党に対し、制度圏の枠外で活動する所謂「在野」の民主化運動勢力の中で学生運動出身者など急進的な立場に位置する人々の総称)出身者も多数当選するなど変化も見られた。
※この「三党体制から両党制へ」の解説は、「韓国における政党史」の解説の一部です。
「三党体制から両党制へ」を含む「韓国における政党史」の記事については、「韓国における政党史」の概要を参照ください。
- 三党体制から両党制へのページへのリンク