権威の確立(シモン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 05:46 UTC 版)
紀元前142年にヨナタンが敵将トリュフォンの手に落ちて殺害されると、兄弟のシモンがヨナタンの後をついで大祭司となった。シモンは兄の立場を継承して軍事的指導者にして大祭司という立場に収まった。シモンの時代にユダヤ人はエルサレムに駐留するシリア軍を撃退し、撤退させたことで、シリアから政治的独立を認められた。ハスモン家の祭司としての正当性に疑問を持つユダヤ人たちも少なくなかったが、ハスモン一族の政治的実績の前に、多くの人々が「忠実な預言者の出現するまでは、シモンを彼ら(ユダヤ人)の指導者、大祭司とするのをよしとした」(マカバイ記1 14:41) こうして紀元前142年から紀元前135年にかけてのシモンの時代にユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取ることに成功した。シモンはローマに使者を派遣して自らの権威の承認を求め、元老院はこれに応じて、シモンの政権を承認した(マカバイ記1 15:19)。しかし、紀元前135年2月、シモンは娘婿プトレマイオスに暗殺された。
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