権威の低下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「権威の低下」の解説
アイルランド大学法案の否決を受けてグラッドストンは総辞職を表明した。これを受けてヴィクトリア女王は保守党党首ディズレーリに組閣の大命を与えたが、総選挙を経ず少数党のまま政権に付きたくなかったディズレーリは拝辞した。これに対してグラッドストンは内閣への信任決議相当の政府法案が否決された場合には、野党第一党は後継として組閣するのが義務であると述べてディズレーリの態度を批判した。 結局グラッドストンが首相に留任したが、その間も自由党はますます分裂した。ホイッグ派は先の軍隊・官僚制度の改革に不満を高めており、一方急進派は初等教育法や労働組合法の不十分に不満を持っていた。グラッドストンの権威は日に日に弱まり、1873年8月にはマッチ税導入の失敗の責めを負って大蔵大臣ロバート・ロー(英語版)が辞職したが、後任が決まらずグラッドストンが大蔵大臣を兼務している。党の内部分裂の深刻さから、そのうち他の閣僚からも辞職者が出るだろうと噂された。 一方ディズレーリは、グラッドストンの「弱腰外交」を批判して国民の愛国心を煽り、総選挙に備えていた。
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