帝権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:37 UTC 版)
東晋は非常に皇帝権力が限定的で、土着勢力および西晋の亡命貴族が司馬氏を推戴する形式となっていた。これは初代の元帝自身が華北から来た余所者であり、土着勢力の協力なしでは何もできなかったためである。元帝はこのような事態を打開するため、新しい側近を得て西晋同様に要職を独占していた北来貴族出身である王氏、謝氏、桓氏など有力氏族を排除しようとしたこともあるが、逆に王氏に反乱を起こされて「王馬(王と司馬の両氏)天下を共治す」「直ちに兵をやめよ。朕は琅邪の地に帰さん」と述べるほどだった。元帝没後も皇帝は有力者に左右されて廃立を繰り返され、ある時はその有力者に首都を落とされたりもしているが、これは東晋皇帝に権力がないことを示しているといえる。魏から帝位簒奪した司馬氏の歴史も皇室権威の低下につながったが、これにはもともと東晋皇族が西晋皇帝の直系でなく傍流であることも一因している。 東晋の権力構造を見てみると、大きく分けて帝権と相権(宰相権力)、方鎮権(軍事権力)が存在している。帝権の掌握者はもちろん皇帝であったが、相権の掌握者は必ずしも丞相に就いた者ではなく、録尚書事ないしは中書令であり、かつまた揚州刺史に就任した者、つまりは中央における最高権力者である。また方鎮権の掌握者は地方軍団の長官である。このように権力体が分立している要因は、東晋王朝の流寓政権という性格から起因するものとして、この権力分立の中で、王導・庾冰・桓温・謝安ら歴代の相権掌握者は、一族の者に方鎮権を握らせる事により軍事力を確保、文武両面から弱体化された皇帝権力を抑止したのである。 「晋朝相国、丞相の一覧」も参照
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