『ブリタニカ百科事典』(1911年)の評価
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「フェルナンド7世 (スペイン王)」の記事における「『ブリタニカ百科事典』(1911年)の評価」の解説
フェルナンド7世の行動を、それに彼より勇敢で良い人の人生が掛かっていた行動を、どうしても特筆せざるを得ない。一貫して無能だったとは確実に言える。只一人の王位継承者だった時期には、家庭の伝統故に政府から除け者にされていることに不満を言うことはできなかったかもしれない。しかし王位継承者として自分が受け継ぐことになっている王の権威の低下と母の愛人である王のお気に入りの権力を非難することは可能であった。民衆蜂起の指導者になっていたならば、民衆はついてきただろうし、良い口実ができたであろう。フェルナンドのやったことは、最初の妻ナポリのマリア・アントニエッタに唆されて意図のはっきりしない陰謀に加わったことである。1806年にマリアが死ぬと、腰巾着が画策する別の陰謀事件に引き込まれた。国事犯として送られたヴァランサイで低俗な生活に現を抜かし、自分の所為で言いようのない苦難を受けている民衆に起きたフランスの勝利を賞賛することに良心の呵責を感じなかった。
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