『ブリトン人の歴史』より
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「トロイのブルータス」の記事における「『ブリトン人の歴史』より」の解説
『ブリトン人の歴史』には、ブリテン島の名前はヒスパニアおよびブリテンを征服したローマの執政官ブルータス(ブルートゥス)に由来すると書かれてある。さらに、ローマ建設以前を舞台に、ブルータスはアエネアスの孫または曾孫だという話も描かれている。 ティトゥス・リウィウスやウェルギリウスらローマの本に従って、『ブリトン人の歴史』では、アエネアスがトロイア戦争の後、いかにしてイタリアに居住したか、その息子のアスカニウスがいかにしてローマの母市の一つであるアルバ・ロンガを建設したかを語っている。アスカニウスは結婚し、やがて妻は妊った。アスカニウスの次男(『ブリトン人の歴史』にはそう書かれている)もしくはアエネアスの子であるシルヴィオスを父親とする異版もある。生まれてくる子供の将来を聞かれた魔術師は、子供は男の子でイタリアで最も勇敢かつ愛される人物になるだろうと予言した。アスカニオスは怒って、魔術師を処刑したが、母親は出産で死んだ。 ブルートゥスと名付けられたその子供は、偶然の事故で、父親を矢で射殺し、イタリアから追放された。ティレニア海の島々の間を放浪し、ガリアでトゥール市を建設した後、ブルートゥスは後に自分の名からブリテン島と呼ばれるようになる島に到着し、子孫を増やした。ブルートゥスの治世は、高僧エリがイスラエル王国で士師を勤め、契約の箱がペリシテ人によって奪われた時代と同時期であるという。。 『ブリトン人の歴史』の異版では、ブルータスをアスカニウスの子シルヴィオスの子供とし、その家系はノアの子ハムまで遡る。しかし別の章では、ブルータスはアスカニウスの子にしてノアの子ヤペテの子孫である伝説のローマ王ヌマ・ポンピリウスの曾孫としている。こうしたキリスト教化の伝統は、トロイア王家をギリシアの神々に関連づける、古典のトロイアの家系研究と対立するものである。 『ブリトン人の歴史』では、ヤペテの家系まで遡る、最初のヨーロッパ人アラヌスの子Hisicionの子ブルータスについても言及している。このブルータスの兄弟はフランクス、アラマヌス、ロマヌスでヨーロッパの重要な国々の祖先とされている。
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