『ブリタニア列王史』より
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「トロイのブルータス」の記事における「『ブリタニア列王史』より」の解説
ジェフリー・オブ・モンマスの書いていることはほとんど同じ話だが、より細々としたことが記述されている。このヴァージョンでは、ブルータスはアスカニウスの子ではなく、はっきりと孫である。ブルータスの父親はアスカニウスの子シルヴィウスとなっている。魔術師はブルータスが両親を殺すだろうと予言している。その予言は『ブリトン人の歴史』で書かれたように現実のものとなり、ブルータスは追放される。ブルータスはギリシアを旅し、そこで奴隷にされていたトロイア人の一団を見つける。ブルータスはそのリーダーとなって、戦いの連続と人質拘束の末、ギリシア王パンドラソスはトロイア人たちを解放せざるをえなくなる。ブルータスは結婚でパンドラソスの娘インノゲンを、それに航海のための船と食糧をパンドラソスから得て、出航する。 トロイア人たちは人の住んでいない島に上陸し、ディアナの廃神殿を見つける。その場にふさわしい儀式を行った後、ブルータスは女神像の前で眠りに落ち、自分が住むことになる運命の島の幻視を見る。その島は西の海にあり、少数の巨人たちが住むのみの島である。 北アフリカでのいくつかの冒険と、セイレーンたちとの遭遇があった後、ブルータスはティレニア海で、英雄コリネウスに率いられた、追放された別のトロイア人の一団を見つける。ガリアで、コリネウスは許可も得ず王の森で狩りをし、アクィタニア王ゴッファリウス・ピクトゥスとの戦争を引き起こす。戦いの中で、ブルータスの甥トゥルヌスが死に、トゥルヌスが埋葬された場所に都市トゥール(Tours)が建設される。トロイア人たちはほとんどの戦いに勝利するが、数においてはガリア人(ゴール人)が圧倒していることはわかっていたので、船に戻って、アルビオンと呼ばれていたブリテンに向けて出帆する。ブルータスたちはアルビオンの巨人の子孫たちと出逢い、それを打ち負かす。 ブルータスは島に自分の名前をつけ、その最初の王となる。コリネウスは自分の名からつけたコーンウォールの支配者となる。巨人たちの侵略もあるが、リーダーのゴグマゴグを除いた全員が殺され、ゴグマゴグはコリネウスとのレスリングの試合のために残されるが、コリネウスに崖の向こうに投げ飛ばされ死ぬ。それからブルータスはテムズ川の岸に都市を建設し、トロイア・ノヴァ、つまり新トロイと名付ける。現在ギルドホール(Guildhall)がある場所に宮殿を、現在セント・ポール大聖堂がある場所にディアナ神殿を建てる。ロンドン・ストーン(London Stone)はディアナ神殿の祭壇の一部だったと言われている。都市の名前はトリノヴァントゥム(Trinovantum)を経て、ロンドンと呼ばれるようになる。ブルータスは人々のための法律を作り、24年間統治する。遺体はタワー・ヒル(Tower Hill)の神殿に埋葬される。ブルータスの死後、島は3人の息子たち、ロクリヌス(Locrinus)にはイングランドを、カンベル(Camber)にはウェールズを、アルバナクトゥス(Albanactus)にはスコットランドをそれぞれ分け与えられる。
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