その他の「改暦」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:46 UTC 版)
その他の改暦の例として閏月を含めた1年間の日数が385日となり過大で不祥であるとして大の月を小の月に改めて1年を384日とした例が4例、元旦と日食の重複が予想されたと推定されるものや暦算の誤りその他あるいは理由不詳で改暦されたものが38例ある。重複例もあるものの、宣明暦が採用された823年のうちに80回近い改暦が行われた事になる。ただし、応仁の乱後は殆ど行われなくなり、朝廷の権威の低下とともに、暦道を掌った勘解由小路家・土御門家の混乱、縁起・吉凶を理由として複雑な再計算を避けたい暦道側の思惑などがあったと考えられている。更に江戸幕府成立後、幕府による朝廷への介入が行われ、改元すら朝廷の自由に行えなくなった状況下において改暦を行うことは事実上不可能になったという事情も加わることになる。なお、宣明暦から貞享暦に暦法の改暦が行われた後には、明和8年(1771年)に宝暦暦の改暦が行われているが、これは半ば暦法の改暦とも言える程の大幅な修正であり、その主導権は江戸幕府の天文方にあったという意味でも宣明暦の改暦とは同一視できるものではない(ただし宝暦暦そのものに問題があったために、暦法を維持したままでは修正しきれず、最終的には寛政暦への暦法そのものの改暦に至る)。それを例外とすれば、貞享暦以後にこうした改暦が行われなかったと考えられている。
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