アウグストゥス以後の皇帝権の変化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アウグストゥス以後の皇帝権の変化の意味・解説 

アウグストゥス以後の皇帝権の変化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:48 UTC 版)

ローマ皇帝」の記事における「アウグストゥス以後の皇帝権の変化」の解説

本項ローマ皇帝#「オクタウィアヌスローマ皇帝成立過程詳述されているオクタウィアヌス皇帝は、19世紀テオドール・モムゼン以来法律に基づく権限掌握研究であり、当時の主要歴史学方法論であった法制史分析基づいている。モムゼン時代は『神君アウグストゥスの業績録』の完全な同時代文書発見されておらず、伝世文献史料では「余は……万人勝ったが、職権においては他の何人にもいささかも勝らなかった」と欠損部分があり、モムゼン欠損部分ギリシア語碑文参考に「公職の位においては」と補って解釈した。しかしモムゼン死後発見され1927年校訂版出たアンティオキア碑文により、欠損部分は「権威においては」であることが明らかにされ、皇帝権力重要な源泉古代ローマ人固有の概念であり共同体秩序支え指導的な人物の持つ特性である「権威」にあることが判明したため、皇帝についてもクリエンテラ―パトロキニウム(庇護関係)論を軸とした社会史分析が行われることになり、1937年のプレマーシュタインの論文、および1939年サイムの『ローマ革命』で帝国最大保護者としてのオクタウィアヌス皇帝確立という見解確立したこのように、プレマーシュタインの研究の成果は、「その後受け入れられ定説化したが、アウグストゥス共和政有力者たちのクリエンテーラを奪って保護庇護関係を自己のもとに統一しすべての市民兵士パトロンとして君臨したとする彼の見解支配的になったために、皇帝権力とクリエンレーラ関係をめぐる議論は、アウグストゥスをもって収束してしまった」、日本でも同様にアウグストゥス権力解明研究注がれたため、帝政期研究者である南川高志は「アウグストクス以後の諸皇帝治世における実際皇帝政治分析してその本質を捉えようという視点欠落して」しまった、と述べている。 このように帝政期皇帝については欧米限らず日本でもまだ研究途上にある。後期帝政について長らくモムゼン確立した専制君主政が定説となっていたが、現在では専制君主政という言い方は完全に廃れてしまった、とされるこのような状況であるため、帝政期皇帝変化については断定的なことはあまり指摘できない段階であるが、そのような中でもいくつか指摘できることがあり、例えば「ウェスパシアヌス帝の最高指揮権に関する法律」は、最高指揮権インペリウム)の所有者インペラトル)は、従来法律平民会決議元老院決議拘束されないことが明記されている点で重要である。セウェルス朝活躍した法律家ウルピアヌスも「皇帝発言法的な力を持つ」と記載(『法学提要1巻2章6節)しており、元首政時代が下るに従い皇帝立法権強化され、その発言勅令(edictum)や勅答(rescriptum)として法律として運用されるように強化されていった点は指摘できる一方で皇帝専制化がすすむにつれて、「元首政時代初期比べてその後半になると、皇帝権威高め儀礼宗教的行為増え」、3世紀中頃軍人皇帝時代となると、「軍隊というむき出し暴力支えられ皇帝には、支配正当化するために権威が必要とな」り、「権威の確立のために儀礼導入した、と見ることができる」。その結果多く儀礼を伴う「神聖な皇帝生まれていった」とされるが、3世紀については「政治・軍事・そしてイデオロギー宗教など、それぞれの領域有意義な説明試みられているものの、社会の変化をも見据えた総合的な説明達成されているようには見えない段階とされる皇帝立法など皇帝業務増加に伴い皇帝直属業務を行うスタッフ増加し元首政初期には元首友人たちから構成されていた諮問機関であり上級法廷であった皇帝顧問会は、ディオクレティアヌス時代には官庁の長が出席し政治立法・行政・司法諸活動中心となった。同帝の時代には皇帝官房には請願部・通信部調査部訴訟部・文書部の部局置かれ実質的な官庁構成し皇帝金庫財務管理官は実質財務大臣化し属州細分化征服により新設され属州では皇帝直轄スタッフ騎士階層から登用された)が派遣され、同帝により創設され属州管轄する管区管区長官(ウィカリウス(英語版))は皇帝直属となった。すなわち、元首政初期では、皇帝管轄属州元老院管轄属州半々であったのに対し属州アフリカ属州アジア以外の元老院管轄属州は、ディオクレティアヌス時代には皇帝管轄下に入ったものと思われ、「元老院ローマ市都市参事会化していた」。 以上のように、帝政期皇帝は、元老院管轄職の担当範囲次第皇帝管轄担当置き換え皇帝が行立法範囲次第拡張し皇帝担当範囲帝国のほとんどとなる一方伝統的なローマ公職元老院担当範囲ローマ市一部属州職に限定されゆく方向に変化していったのである

※この「アウグストゥス以後の皇帝権の変化」の解説は、「ローマ皇帝」の解説の一部です。
「アウグストゥス以後の皇帝権の変化」を含む「ローマ皇帝」の記事については、「ローマ皇帝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アウグストゥス以後の皇帝権の変化」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アウグストゥス以後の皇帝権の変化」の関連用語

アウグストゥス以後の皇帝権の変化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アウグストゥス以後の皇帝権の変化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのローマ皇帝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS