アウグストゥスによる行政区再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 04:36 UTC 版)
「イタリア本土 (古代ローマ)」の記事における「アウグストゥスによる行政区再編」の解説
アウグストゥス帝によって帝政移行が確立されると、皇帝は本格的にローマを「本土」と「属州」からなる集権国家として再編した。帝国の本土は「行政区」(regio)という区分けで統治するものとし、イタリア半島にその行政区を設置した。これによってイタリア半島は「国家(ローマ帝国)の本土」としての立ち位置を強めることとなった。 またアウグストゥス帝は、イタリア半島と地理的に近く同化されており、大叔父ユリウス・カエサルによって全住民にローマ市民権が付与されていたイタリア大陸部(属州ガリア・キサルピナ)にも行政区を設置した。これはイタリア大陸部が事実上、半島部と共に本土へ編入されたことを意味した。 紀元前27年、アウグストゥスは帝都ローマを中心とするイタリア半島・大陸部に11区の本土行政区を設置した。 第1行政区「ラティウム・エト・カンパニア」(Latium et Campania) 第2行政区「アプリア・エト・カラブリア」(Apulia et Calabria) 第3行政区「ルカニア・エト・ブルッティイ」(Lucania et Bruttii) 第4行政区「サムニウム」(Samnium) 第5行政区「ピケヌム」(Picenum) 第6行政区「ウンブリア・エト・アゲル・ガッリクス」(Umbria et Ager Gallicus) 第7行政区「エトルリア」(Etruria) 第8行政区「アエミリア」(Aemilia) 第9行政区「リグリア」(Liguria) 第10行政区「ウェネティア・エト・ヒストリア」(Venetia et Histria) 第11行政区「トランスパダナ」(Transpadana) 帝国の中枢としての地位を確立したイタリア本土領は、それまで狭いローマ市内に限られていたローマ文明の富と栄光を得て大変に繁栄した。豪農達による農業生産はピークに達し、無数の職人衆が装備品・工芸品などの工業製品を広大な帝国全土に供給した。そして何より属州との独占的で支配的な貿易は、多くの大商人達によって巨万の富へと繋げられていった。 環境の向上によって出生率も飛躍的に改善し、紀元前28年には406万3000名であったローマ市民権所有者数())は西暦14年時点で493万7000名にまで増加した。
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