げんしゅ‐せい【元首政】
プリンキパトゥス
(元首政 から転送)
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プリンキパトゥス(羅: Principatus)は、帝政ローマ初期における政治形態の呼称である。「プリンケプス(元首)による統治」を意味し、日本語では元首政(げんしゅせい)と訳される。
- 1 プリンキパトゥスとは
- 2 プリンキパトゥスの概要
- 3 ユリウス=クラウディウス朝
- 4 専制君主制
元首政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
詳細は「プリンキパトゥス」を参照 帝政ローマの最高支配者となったガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)は、後世において最初の「ローマ皇帝」とされる。しかし、彼は建前としての共和政を遵守する立場であり、大きな権威と権力を手中にしながら、共和政下のローマでは伝統的にネガティブなイメージを帯びていた「王」の称号を採用せず、代わりに共和政時代から存在する官職や権限を一身に兼ねるという形をとっている。そのため、ローマ帝権は多数の称号を身に帯びることになった。中でも特に重要な称号が「インペラートル」「カエサル」「アウグストゥス」の3つである。 インペラートル(imperator)は、英語の「エンペラー」(emperor)やフランス語の「アンプルール」(empereur)、トルコ語の「インパラトール」(imparator)の語源であり、皇帝と訳される称号のように認識されているが、そのまま当てはめることはできない。インペラートルの語源であるインペリウム(imperium)は「命令権」や「支配」を意味し、王政期には王権の一部だったが、共和政期には軍指揮権を意味した。インペラートルはこの語に由来し、「命令者」を意味する。そのため将軍を指す称号のひとつとなり、凱旋式に際しては兵士たちが将軍に呼びかける際の尊称として用いられた。したがって共和政期にはインペラートルが同時に複数存在することもあった。共和政後期になると意味が広がり、ローマの支配権や支配領域を指してインペリウムというようにもなった。このように、ローマのインペラートルとインペリウムは必ずしも君主制を前提としてはおらず、語源は同じでも「帝国の支配者=皇帝」に対して用いることを予定したものでもなかった。この特徴はローマ滅亡後の後代にも引き継がれ、皇帝のいない国を「帝国」と呼ぶ用法などが生まれることとなった。 カエサル(caesar)もまた皇帝の称号のひとつであり、ドイツやロシアなどで用いられた称号(カイザー、ツァーリ)の語源である。カエサルは、本来ユリウス氏族に属するカエサル家の家族名である。ここの出身であるガイウス・ユリウス・カエサルが終身独裁官となり、その養子となりカエサル家を継いだオクタウィアヌス(アウグストゥス)によって帝政が開かれたことから、皇帝を表す名のひとつとなった。後のディオクレティアヌス帝の時代には「副帝」を意味する称号となり、正規の君主号となった。 アウグストゥス(augustus)は「尊厳者」を意味し、元はオクタウィアヌスに贈られた添え名である。権威的には重要な称号だが、命令権や血統とは直接関係ないものだった。しかしながらオクタウィアヌスがこの名を贈られた紀元前27年1月16日が歴史的に帝政開始の日とされること、以後すべての後継者が帯びる称号となったこと、インペラートルやカエサルと異なりローマ皇帝以外に保持者のいない称号であること、ディオクレティアヌス帝の時代には正規の皇帝号になったことなどから、ローマ皇帝を指す最も重要な称号として認識されている。また、単にアウグストゥスといえば前述の初代ローマ皇帝アウグストゥスを指す。 またローマの皇帝崇拝や帝国主義は当初、キリスト教や王の中の王(唯一神)への信仰に対立していたが、313年の寛容令(ミラノ勅令)などを通して皇帝側とキリスト教側は深く結びついていった。 詳細は「皇帝#キリスト教」を参照
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