跡部氏の入甲と強勢とは? わかりやすく解説

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跡部氏の入甲と強勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 15:36 UTC 版)

跡部氏」の記事における「跡部氏の入甲と強勢」の解説

室町時代甲斐国山梨県)では応永23年1416年)に甲斐守護武田信満上杉禅秀の乱荷担して討伐されたため、守護不在態となる。『鎌倉大草紙』に拠れば甲斐では武田家信濃守護家・小笠原氏に次ぐ家柄であった逸見有直が関東公方足利持氏と結び、甲斐国守護の座を志向していた。 逸見有直は足利持氏通じて幕府守護補任要請するが、鎌倉府対立していた室町幕府は、在京していた信満の弟である武田信元甲斐守護任じ信濃国守護小笠原政康命じて信元甲斐へ帰還させた。この際跡部明海・景家親子信元補佐のため守護代任じられたと考えられている。『鎌倉大草紙』では、跡部親子を「何事も信元の旨を背き横行しけり」と評している。 信元はまもなく死去した考えられており、甲斐では信満の子である武田信長が、信長実子伊豆千代丸擁立して跡部親子敵対した永享5年1433年4月29日には跡部親子輪宝一揆支援得て甲府荒川で日一揆と結ぶ信長方を撃退した信長はこれにより甲斐離れ鎌倉出仕している。三宝院満済満済准后日記永享6年1434年11月2日によれば永享6年11月から永享7年3月にかけて、明海在京していた信満の子武田信重甲斐守護として下向させる工作行っている。永享7年1435年3月明海熊野詣を理由上洛し、満済に信重下向求めるが、幕府鎌倉府への影響懸念して判断衆議難航した。さらに、『満済准后日記によれば明海は信重の信任得られず、向背疑われていたという。 跡部氏信長不在時に勢力伸張し、『鎌倉大草紙』に拠れば伊豆千代丸の意に反し独自の活動をしていたと言われ永享5年1433年)には鎌倉出奔した信長と争う。 永享10年1438年)、信重は関東公方の持氏と公方補佐する関東管領の上実の対立から発生した永享の乱の際に憲実援護のために帰国し、持氏と結び再起図った逸見氏などと戦っている。『鎌倉大草紙によれば跡部親子は信重に滅ぼされたと記されているが、これは誤りであると考えられている。『王代記』によれば明海寛正5年1346年)に死去する。 『鎌倉大草紙によれば跡部氏武田信昌時代には専横極めたとされ、信昌幼少時から政務介入して対立していたという。信昌時代跡部氏専横極めてたとする跡部景家が甲州市塩山向嶽庵に都留郡田原郷を安堵した長禄2年1458年8月28日安堵状や、景家の代官甲州市上岩崎氷川神社殿を再建した寛正2年1461年)の新殿造営棟札に景家を褒め称える語句があり、これらは跡部氏強盛を示すものであるともされるが、前者幼少時の信昌に代わり守護代文書発給しているケースであり、評価には慎重論もある。また、甲斐国志』に拠れば武田一族岩崎氏が跡部氏横暴により滅ぼされたと記されていることも挙げられるが、信昌と跡部氏争いにおける岩崎氏の立場不明瞭であり、岩崎氏が地頭務めていた岩崎郷が後に跡部氏所領となっていることから岩崎氏が跡部氏帰属していたとする説(秋山敬による)もあり、信昌と跡部氏対立の構図には再検討求められている。 跡部氏と信昌の争い甲斐一国規模となり、長禄元年1457年)には甲府小河原合戦甲府市)、馬場合戦比定地不詳)において信昌方を圧倒したという(『一蓮寺過去帳』)。跡部明海寛正5年1464年)に死去すると、信昌は信濃諏訪氏援護を受け夕狩沢合戦山梨市)において景家勢撃破し西保小田野城(旧牧丘町)において景家を自害させる。この頃には甲斐幕府鎌倉府影響下から脱しつつあり、跡部氏排斥し武田氏国内における守護権威の確立務める。

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